宇宙は不完全で、完璧ではないと思うこと

宇宙や世界は完全だという話は、スピリチュアル的な関連ではよく見かけます。

ただ、完全と完璧は同じではないので、ここが誤解のもとにもなっているようです。

自然の流れに沿うとか、もっと大きな規模で、宇宙や世界と一体化するという表現もありますが、もし完全と完璧が同じだと思っていると、宇宙は完璧だから、それに沿えば(一体となる感覚を得れば)、私も完璧だとなりかねません。

そして、その完璧さというものを地上的レベルの話に落としてしまうと、肉体的・物質的な繁栄、安心が(完璧に)得られるとなり、精神的にも悩みがなくなると錯覚する人もいるかもしれません。

スピリチュアル的なものに怪しさがあるのは、たいてい、地上的・物質的・肉体的レベルに矮小化されて語られることが一因でしょう。(その次元が悪いと言っているのではありません。統合することと、区別・分離することがあやふやになっていることに問題があるわけです)

ここで言っている「完璧」とは、一寸の狂いもなく、固定的で、人間的に見てミスも間違いも許されていない状態と見ていいでしょう。

どうですか、上記の文を読むだけで息苦しさとか、監視されているような気分が感じられませんか?

それに対して、ここで言う「完全」とは、動きもあり(流動的)、人間から見て狂いとか間違いのようなこと、理不尽と思えるようなことはあっても、非常に高いレベル・次元、または超全体ともいえる視座から見ると、バランスが取れている(バランスを取ろうといつも働いている)ように感じられるものと言えましょう。

そして、この「完全さ」こそが、宇宙(世界)の本質ではないかと思います。

ということは、通常の(常識的な)人間知見では、宇宙とか世界は理不尽に見えたり、間違っていると感じたりする可能性があるということです。

しかも動きがあるので、その動いている最中と言いますか、過程では、バランスも取られていない(アンバランスな)ように思えることもありそうです。

ところで、マルセイユタロットで「正義」というカードがあります。

天秤と剣をもった人物が、まるで裁判官のように見えるカードです。

絵柄を詳細に見ていくと、剣も天秤も、実は少し傾いていることがわかります。(実際、剣のほうは微妙ですが、天秤のほうは明らかに傾いています)

天秤は「はかり」であり、何かの重さを量る時、片方に載せた重りと、量られるものの重さを見ます。つまりは、つり合いによってバランスを見るものです。

物事か完璧であることを表すとすれば、この「正義」の天秤も、きっちりと並行になり、傾きがない状態となるでしょう。

「正義」という名前からしても、いかにも正しさを表しているようにも思え、そこから完璧さという意味も、一見出そうではあります。

しかしながら、マルセイユタロットの「正義」の天秤は傾いています。

ということは、この正義は単に、私たち人間レベルで思う正義ではなく、もっと大きな意味のもので、もしかすると宇宙的な正義なのかもしれません。

正義は人間レベルでさえも、どちらにも傾きますし、また、大きな観点では、どちらでもないかもしれないのです。

そしてマルセイユタロットの大アルカナの最高度、到達地点を示すと言われる「世界」というカードがあります。まさに名前も「世界」であるように、文字通り、世界や宇宙を表すとも考えられます。

この「世界」の図像も完璧な左右対称ではありませんし、リースの中の人物は、踊っているようにも見え、動きがあります。

詳しくは言いませんが、外の四つの生き物と、リースの中の人物が持っている道具類とは関連し(質的に同じもの)、それが変化している様を表現しています。

「世界」のカードは、意味的にも完全さを象徴しますが、完璧で停止しているわけでありません。それは説明したように図像からでも見て取れます。

要するに、「正義」とか「世界」を見ても、宇宙や世界は流動的で、一視点(部分)では完璧でないように見えるということです。

言い方を換えれば、宇宙・世界は不完全(に見える)構造を、あえて取っているわけです。

宇宙は不完全である、これがマルセイユタロット的に見た、個人的な見解です。

これがわかれば、私たちが不完全であり、完璧ではない状態と人生を経験するのも至極当然となります。

要は、宇宙さえも成長のために歩みを止めず、不完全な状態を作り続けて、永遠に到達しない完璧さを目指しいてるとも例えられます。

ですが、ここが重要なのですが、途中・過程においてではあっても、それ自体、すでに完全であるということです。

これもまた、私たち自身、人間や地上的な生活にもあてはまると考えれば、色々と納得できる点が出てきます。

ですから、私たちは完璧とか理想を目指してもいいのですが、それが手に入ったとしても、すべてが終わって(地上的・人間的価値観での)幸せになるわけではなく、いついかなる時も始まりであり、終わりであり、また途中なのだという認識でいると、自然とより調和できるのではないかと考えます。

何かが完成した瞬間、それは崩壊に向かい、また意味を変えれば、それは新たな創造でもあるという仕組みです。

マルセイユタロットで言えば、一枚一枚だけで判断するのではなく、大アルカナだけでも、22枚全体をもって考察し、その視座もって、個別的なカードや人の問題などを見ていく必要があるわけです。

「正義」のカードには、自分が正義(正しい)と思っていることも含まれます。言わば、自分ルールです。正しいものがあると、反対に必ず間違いがあります。

誰もが自分なりの正しい・間違いの両面の線引きを持っています。それは、その時点であなたにとって必要な「正義」であり、ルールなのですが(多くは自分を守るためのもの)、いつかは、宇宙が成長する性質のように、あなた自身も成長を望みます。

となると、今までの自分ルール、正義感(観)は古くなり、バージョンアップが必要となります。

古いもののほうが気持ちが一見安定し、楽なので、それにしがみつきやすいのですが、そうすると、抵抗となって、全体(自然)の流れとの乖離が生じます。

それが自分にふりかかる、問題・悩みのようなものとして現れます。

自分自身が自分を今までのルールで支配(守護)してきたのですが、それが守りどころか、自分を苦しめるもの、錯覚として変ってしまっているのに気づかないのです。

自分がバランスを取ろうと、回復させようと、あるいは何かを変えようと、必死になっても状態が悪いままの(よいほうにならないと強烈な思いが出る)時、自分の中の正義ルールを見直す必要があるかもしれません。

宇宙は不完全で完全だという禅問答のようなものにはなりますが、とにかく、完璧さを求めて、それに執着している自分に気づくことは重要です。

不完全でいい、もっと平たく言えば、ダメでもいい(ダメな状態も自然)、うまくいかなくてもいいとし、こうでないといけないというような思いを緩めることから始めるとよいでしょう。

ただ理想とか夢を持ってはいけないとか、あきらめる、何もしないくていい、と言っているのではありません。

自分自身と世の中の不完全さを認めることで(それを放置することとは別ですが)、実は完全さの意味(次元の上昇)に近づくと言いたいわけなのです。

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