悪い意味とされているカードたち

伝統的な流れを汲むタロットには、「悪魔」というカードがたいていあります。

そしてマルセイユタロットは、もっとも伝統的なタロットのひとつと考えられますので、当然、そのカードはあります。

というより、もしかすると、今の多くのタロットの源流でもあるかもしれませんので、このマルセイユタロットの「悪魔」から、色々なタロットの悪魔的なカードが描かれるようになったと言えるかもしれません。

もちろん、マルセイユタロット以前のタロットにも悪魔的なカードは存在しますので、「悪魔」カードの起源自体は相当古いと考えられます。

タロットはヨーロッパで作られたと思われますので(諸説ありますが)、キリスト教圏の思想や観念が反映していることは想定できます。

ということは、神と悪魔の対立、善悪の対比として、いわゆる世の中の悪いもの(コト)は悪魔のせいにするというのは一般的でもあったでしょうから、やはり「悪魔」のカードは、そういった諸悪を象徴するもので、カードとしては存在しなくてはならないもの(神や善があるのなら反対の概念も必要)であったと思えます。

このことからも、「悪魔」のカードの解釈が、悪いこと、悪いもの、悪い人、私たちを誘惑する悪い存在(コト)とされてしまうのも、仕方のないことかもしれません。

しかし、私たちが考えるマルセイユタロットの解釈では、カードにはよいも悪いもなく、中立として見ますので、「悪魔」のカードも決して悪いものばかりとは言えません。

ただ、普通に悪魔という言葉自体がもうネガティブな存在・意味として人類に染み付いているので、なかなかよい意味でとらえることは最初は難しいかもしれません。

ほかにも、他のタロットでは「死神」などと呼ばれる、マルセイユタロット大アルカナの「13」(名前のない「13番」)、さらには一般的には「塔」と呼ばれる、マルセイユタロット大アルカナ16番「神の家」も、悪い意味、凶的なカードにされているところがあります。

実はこれは、とても示唆的でもあると言えます。

私たちが普通(一般的)に「悪い」「凶」だと思っているカードたちが、もしそろい踏みとか複数の形で出たとしたのなら、そのこと自体が強調されている(ネガティブに注目されていること)とみなすことができます。

単純なタロット占いだと、これから悪いことが起きるとか、今何か不吉なことが起こっているみたいな解釈をするかもしれませんが、そのようなタロットの使い方をここで述べているわけではありません。

さきほど、示唆と述べたように、これらのカードで出ているからには、その意味をよく考えることが必要だと言っています。

さきほど、マルセイユタロットは、基本、中立解釈であると言いました。

となれば、これらのカードが出たということは、悪いことが起こるとするのではなく、これらのカードを通して、悪いと思うそのもの、言ってみれば悪いとか怖いとか不安とかに思う、自分自身を見直す(向き合う)ことがあると考えられるのです。

例えば、自分の中に行き過ぎた罪悪感や自虐感がないだろうかとか、自立から逃げ、何かに依存して生きる逃避的な態度を取り続けていないだろうかとか、何か世の中や環境、他人のせいにして、自分自身と向き合うことを避けていないだろうかとか、逃走ならぬ闘争をし続け、疲弊していないだろうかとか…様々な自分の中にあるネガティブを起こさせてしまう観念、ルール、縛りのようなものに気づいてもらうために、ネガティブと見えるカードが登場したのだと見てみるとよいかもしれません。

別に悪感情、悪い観念、ネガティブな思いを持つことがいけないと言っているのではありません。

それどころか、むしろ、よいこと、明るいこと、ポジティブばかりを思うのも不自然と言えます。(ポジティブシンキングのみは、やがて破綻を来します)

ただ、過剰に悪いほうに傾いてしまうのはなぜなのかと、一度立ち止まる必要はあるだろうということです。

特に注意したいのは、過剰なる罪悪感です。(自虐でもあります)

これは「悪魔」とか「13」で象徴されることとして、よく出て来ます。

本当に罪を犯したわけでもないのに、自分自身をまるで罪人のように扱い、だから「こんな私は幸せになってはいけない」「一生懸命働いてこそ報われる」「人のために役に立たないとけない」「甘えたり、休んだりすることは許されない」と自分を駆り立て、他人の評価や許しを与えてもらう人生を追い求めることになります。

これは自分自身を何か欠けているもの、生きていてはいけない存在、そのままで生きる価値のない人間と、欠乏感・不完全性の烙印を自分に押したことから始まると考えられます。

その原因は、親とか兄弟姉妹とか家族的なこともあれば、学校生活や仕事などの中で、そう思わせられたことがあったからかもしれません。

またそういうことがあったとしても、自分の表面的な意識では忘れてしまっている可能性もあり、つまりは無意識の自動装置みたいになっていることがあります。

怖いのは、このような意識が自分の奥底で固まり、観念として定着してしまうと、受け取ることさえ満足にできなくなることです。

「私のような人間が、そんなもの、受け取れません」となって、お金や人間関係はもとより、健康になることさえ受け取らなくなってしまうのです。

受け取る時でも、「自分にご褒美」とか「せっかくだから」と、何か言い訳や免罪符を作っておかないと、受け取れないのです。

しかもそれで実態として欠乏感がさらに増すので、それを補おうとして、外の何かに依存したり、過剰に評価や承認を求めて無理をしたり、仕事や対人関係で問題が起きたり、うつとか病気になって、自分に注目してくれる状態(しかしエネルギー自体は消耗しているので動けないことも確かです)を作ろうとしたりします。

このような罪悪感、罪人意識のようなものと構造は、私自身の中にも結構あるので、痛いほどわかるところがあります。しかし、なかなか自分自身では気づけないところもあるのです。

ということで、マルセイユタロットという象徴の力を借りてみることも一助です。

悪いカードにされているものでも、結局は、人間の観念が作り出したものですから、それが自分の中にあって、自分自身を苦しめていると考えると、言わばすべての問題は自作自演の構造の中にあり、それを中立化したタロットの象徴によって、解除させることに役立てる可能性もあると思われるのです。

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