タロットの当たる・当たらないのこと
タロットは当たると言われることがあります。
時には当たり過ぎて怖いと思われ、敬遠されることもあるくらいです。
タロットがなぜ当たるのかということについては、論理的にはなかなか説明ができません。
しかし、タロットをやっている私が言うのも何ですが、結構、人の思い込みによるところが大なのではないかと思います。
タロットが当たることについて、大まかに分けると、一応ふたつの見方があると思います。
ひとつは内側からによるもの、そしてもうひとつは外側からによるものです。
内側からというのは、クライアント(タロットへの質問者)やタロットリーダー(タロットを解読するもの)自身の心理的・内的な理由によるもの、外側からというのは、タロットの精霊とか、目に見えない領域の何かしらのものが当てさせているというような考えのものです。
まあ、外側のもの(存在)も内にある自分の中のひとつとして見れば、結局はすべて自分が起こしている、当てさせているという見方もできなくはありません。
ただ、西洋魔法やタロットの古くからの世界観の中では、タロットの精霊の存在とか、タロットの世界という、一種の異空間・異次元的なものが実在するという考え、あるいは、その世界とコンタクトする方法もあるため、一概にすべて自分・人間がタロットの事象を引き起こしているとは言えないところもあります。
けれども、この異次元的なタロットの世界も、個人の中にあるビジョン、もしくは伝統的に守られてきたビジョンが創造(想像)され、ある種のイメージ世界として固定されていると見ることもできますので、本当にタロットの世界やタロットの精霊が人間(世界)とは別種存在しているのかと言えば、それもまた考え方によると思います。
仮に人間のビジョンが創った世界だとしても、人間には別世界を創造する力があるとも言えますので、マルセイユタロットに「力」という名前のカードがあるように、人の力は、通常の私たちの想像を超えるものがあるのだと考えられます。
最初に、「人の思い込みによって、タロットが当たるように思ってしまうのかもしれない」と言いましたが、その思い込みの力が、まさに人の想像と創造の力にもつながっているわけで、単なる絵のカードが、物事について当たるような世界を、人間が生み出していると言えなくもないのです。
従って、その思い込みを操作することによって、タロットの(当たる)精度は上がるようにも見せかけられますし、もっと進めば、当たる当たらないというよりも、当たる世界に自らがシフトする、移行するというような現象にもなっていきます。
思い込みを操作するのは、自分自身でも無意識にもできますし、また、多くはタロットリーダー・タロット占い師(タロットリーダー自身も無意識のことがあります)によって操作させられているところがあります。
言い換えますと、一度でもタロットによって当たると思ってしまうと、すでに何らかの操作が自分に働くということです。これが二度・三度続くと、次第に確信へと変わって行くのです。
いやでも、実際に、操作うんぬん関わらず、これ以外ないと思えるような質問とか状況にぴったりのカードが出るというケースは、タロットをやっていると何度も遭遇するので、やはりタロットは思い込みでなく、カード自体が当たるものだと思っている人も少なくないでしょう。
しかし、ここで言っているのは、思い込みや洗脳とかのそれとは違う次元の話なのです。
言ってみれば、最初から、すでに私たちはタロットを含めた予定調和の世界にいるということです。
あなたがタロットをしたいと思って、自分にしろ、タロットリーダーの元でにしろ、タロットを選択する意思が出た時点で、もうタロットはあなたに何らかの示唆が与えられるような仕組みに入っているということです。
表現を変えれば、タロットというツールがあなたを取り巻く世界の中で実態化、利用されるものとして存在化したというわけなのです。
実際にやってみて、当たるように感じたとか、はずれたように思ったとか、それは人それぞれで違うかもしれませんが、タロットに関心を持って、タロットリーディング、タロット占いを試みるような人は、当たるほうに関心と結果を望む心理が働きますので、そういう結果になるよう、自分を取り巻く世界全体が動くと表現してもいいでしょう。
要するに、タロットを通して、何らかの刺激、インパクト、変化(あるいは変化しなくてもよいことの望み)を自分自身が求めていて、それを世界(タロットを含む世界)が、あなたの希望を実現しようと働いたというわけです。
例えば、自分の本当の気持ちを確かめたい気持ちが奥底に強くあって、その思いを実現するために、タロットというツールが選ばれ、当たる(すなわち自分の認めたくない、あるいは本当は認めたい気持ちなどが表された)ように感じる結果を生み出したという仕組みです。
その意味で言うのなら、別にタロットでなくてもよく、どんなカードでも、あるいはカードでなくても、その時のあなたに必要な出来事として選ばれるものがあることになります。
ですが、タロット、中でもマルセイユタロットは、非常に象徴ツール・絵図として整理され、精緻化されたものであるので、世界全体とシンクロしやすいカードになっています。
一言で言えば、わからないもの、目に見えないものを見える化しやすいのです。
内なることは視覚化しにくく、自分に何が起こっているのか、起こってきたのか、どんな思い込み、信念があるのかなど、自分自身ではわからないことが多いです。
それをマルセイユタロットによって、外の見える情報として出してくれる面があります。もちろん、象徴ですので、ズバリというわけではなく、解釈にもテクニックと知識はいりますが。
世界とシンクロにしくい構造のカードだと、まさにデタラメで出てしまい、それはそれで自分とつながる意味(取り巻く世界が出してくれている意味)は確かにあるのですが、カード全体と一枚一枚の構造に最初からまとまりがないため、(外の世界とタロットがシンクロする、言い換えればタロットが小宇宙として働くようになる)システムとしては働きにくく(乱雑になる)のです。
従って、ここにマルセイユタロットを使う意味があるというわけです。
あと、これは別の話題・記事にしたほうがよいかもしれませんが、カード解釈に吉兆、いい・悪いの世界観を入れすぎると、自分が世界に向かって逆に悪い意味で働きかけることになり、つまりは自分を取り巻く世界のほうが、カードの解釈の世界観の通りになって、よい・悪いの二元的なものに染まって行くことになります。
本当の世界はいいも悪いもない、一元的なものなので(ただし、現実として認識できるのは二元的表現)、世界が示そうとしてくれている真のバランスがわからず、言わば曲がった視点・解釈で世界を見ようとしてしまいます。
こうなると、あなたを修正・改善しようとして出してくれている世界からのお知らせ(出るタロット)を、あなたが曲解することで、その善意が無駄になることもあるわけです。
というようなわけで、タロットの当たる・当たらないにあまり過度に注目せず、結局は、あなたがタロットを使うことはあなた自身と世界が仕組んでいることなので、その理由を自分の中で気づかせるようにすることのほうが大事だということが言いたかったわけです。
そのうえで、タロットを使い続けるもよし、一回だけでもよし、それはあなたの自由と言えます。
総合的に、それらのこと(タロットとどう関わるか、タロットをどう扱うか)も、自身の潜在的な計画のうちにあると言えましょう。

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