あいまいになる境界 分離と統合

マルセイユタロットの大アルカナは、その数の進展によって、分離から統合、一元に進化(還帰)する道を示していると、一説では言われます。

ただ、きちんと一枚一枚のカードの象徴性の説明を受けないと、その深いところはわかりません。

事実、絵柄だけを単純に見ても、数の多いカードほど、人物とか動物が多くなるように見え、一元的な印象が逆に薄いように感じるかもしれません。

それにはからくりがありますし、ある部分、中世から近世にかけての西洋絵画のルールに基づいていることもあり、知識がないと本当の意味はわからないところが結構あります。

それはそれとして、マルセイユタロットは大アルカナの場合、シンプルに言えば、ひとつになること、ひとつに戻ることを示唆した道順であるならば、逆に今の(通常の)私たちの世界や次元は、あらゆるものが分かれているように見え、だからこそ、すべてのものは、(厳密に見て)違っており、一人一人の人間も、その性格から身体に至るまで異なっているように感じられます。

こういった差異・区別は、時として整理や物事の分析、把握に役立ち、それゆえ、物理的・科学的な客観性においての進化・発展もなされると考えられます。

反対に一元化、皆同じのような世界次元であると、いわば停止したようなものであり(しかしそこに、可能性も含めてのすべてはあり、完全性の象徴とも言えます)、違いがないので落差、反発、引力もなく、まるで運動や流れのようなものがないかのように想像できます。

だからこそ、スピリチュアル的な考えにはなりますが、まるで宇宙が呼吸しているように、全体性と個別性、言い換えれば、一元的な意識と分離した意識の世界が交互に繰り返され、大きな位置から見れば破壊と再生(創造)停止と活動みたいな循環で、私たちが関わる宇宙も含めて、全体が拡大、あるいは深化しているのだと思われます。

また、このようなシステムや循環性は、入れ子構造のようにもなっていて、大きな範疇から一人一人の些細なことまで、同じ構造で貫かれ、そして違うもの同士は、互いにそれそれの要素が内包されているというエックス状の構造にもなっているのだと推測されます。

これが具体ではなく、象徴(本質的に同じもの)として解釈可能な根拠であり、タロットも象徴性の道具ですから、個別から全体までのつながり、仕組みをカードで検証できるわけです。

さて、今、世間では熊の出没と人的被害で話題になっています。そして、少し前からインバウンドで、外国の方が日本に多く来られ、いろいなトラブルも起こっています。

これらは一見すると、個別・具体的にはまるで関連がないように思えますが、先程述べた象徴的に考えますと、似たようなことが起きているとも言えます。

それは今まで自分たちの範疇だったところに、外側から異なるものが侵入し、被害を被っている(ように受ける側では感じる)という状態です。

ふたつとも、これまで(侵入される側が)想定していた境界線を突破され、その境界自体があいまいになってきたということでもあります。

こうなる以前は、まるで漫画・アニメの「進撃の巨人」ではないですが、塀に囲まれていた中(塀はありませんが)で、自分たちは安心して暮らしていたわけです。

この塀こそが、自分たちの脳内に想定していた境界線であり、自分と他を区別するもの、もっと言えば分離させているものと言えましょう。

それが壊されているということは、この分離状態の見直しが、少なくとも日本全体で起こっていることでもあります。

厳格な境界が壊れることは、悪いように思いますが、見方を変えれば一元(ひとつ)になろうとする方向性でもあり、全体性で見ますと、やはり分離から統合・一元へと、地球全体が進んでいるように見えます。

ただ、だからと言って、個別の問題、熊被害や外国人来訪によるトラブルを見過ごせというわけではありません。

スピリチュアルに偏る人に時にありますが、統合やひとつの世界を一足飛びに、いきなり実現しようとしたり「すでにひとつだから、それに気づくだけで問題はなくなる」とか言ったりする人がいます。

しかし、物事には順序や段階があります。

それぞれの違いを無視して、十把一絡げにまとめようとしても、そこに問題が噴出するばかりです。

これまでの境界があいまいになってきた、それは一元化の流れの中の出来事ではあっても、理想の前に、ひとつひとつクリアーして、段階的に統合に向かう必要があるということです。

だから、熊問題も、これまでの住み分けではない、新たな分け方(大きな統合の前には、何度も細かく再構築した分離段階があるのです)が必要となるでしょうし、外国人問題も法律やルールを変えないとならない場合もあるでしょう。

言えるのは、これまでと同じ認識や方法では、余計に分離(意識的にも)が進み、動物をただ殺せばいい、外国人は追い払えと、時代錯誤的な思考に固まってしまいます。

求められるのは、統合を踏まえた新たな分離段階です。

それには全体的な視点と視野がいるでしょう。宇宙・地球規模をも意識しつつ、日本全体の視野でもって、これらの問題の方策を練らないと本当の意味での解決や進展はしません。

事例として、熊と外国人問題について言及しましたが、これは、それだけにはとどまらないはずです。

私たちそれぞれの個別領域においても、おそらく内外の境界線が崩れていく問題は出て来るでしょう。

それらが、私たちの意識を変化(向上)させるために起きていることは明白です。

一部だけを見ていては、ただ排斥するか、逃げるか、見なかったことにするかでごまかし、自分にとって都合の悪いこととして嫌悪感しか出ないでしょう。

しかし全体的な見方では、悪いことだとは言い切れず、むしろ(自分にも他人にも)進化発展のために起きていることでもあると、認識できるようになります。(嫌なことは我慢しろと言っているのではないので注意です。レベルによっては、問題を具体的・現実的に解決していく次元と分野もあります)

そして、全体的な視野のためには、物事の本質、構造を見極める必要があり、それは象徴として表せることが多いので、マルセイユタロットが使えるというわけです。

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