タロットの扱いは個性によるというお話

私はマルセイユタロットを扱っています。

でも、タロットと言えば、世の中にはたくさん種類があり、伝統的なものはもとより、創作系、自作系、遊び系みたいなものも含めると、世の中にタロットは何千種あるかわからないかもしれません。

まあ、あえてまともとな、というと語弊がありそうですが、一応、メジャーでしっかりとしたシステムにあるタロットだけを取り上げると、種類はそう多くはないとは思いますが、それでもタロットは幾種類かに分かれるわけです。

それで、自分がどのタロットを学び、使うかというのも、人それぞれになります。

タロットをの選択については、このブログでも記事を何度か書ていますので、それを参考にしていただくとしまして、今日書きたいことは、自分が選び、使っていくタロットで、何を成すのか、どう表現するのかというのがテーマです。

これも結論から言ってしまえば、人それぞれで、大きな意味で言いますと、自分のあり方とか、人生の使命のようなものに関わっていると言えると同時に、細かい意味では、千差万別の方法に分かれると述べられます。

実は、これはタロットに限らないことだと思っています。

セラピーとか、何か人や自分の為になる技術を身につけたとして、それをどのように使うのかは、やはり個人で違ってくるはずです。

ですが、学びの段階で、もしその技術の創設者とか権利を持っている組織が、このように使わないといけないと規制をかけているとすれば、個人の自由に扱うわけにはいきません。

それにはビジネス的な理由もあるでしょうし、創設者の意図とか意思もあって、きちんとルール化していないと、その技術を正しく使うことが難しくなるという懸念があるからかもしれません。

とは言え、結局、人は誰一人まったく同じという人はいないのですから、同じ技法を使っていても、また、いくらルールで厳格化していても、実際には、個人個人の使い方で違ってくるのが実状でしょう。

私はタロットの中でも、マルセイユタロットという種類を選び、そしてそのマルセイユタロットの道に入るきっかけとなったのが、ホドロフスキー・カモワン版マルセイユタロット(の中でも厳密に言えばカモワン流)であり、そのタロットに基づくルールとか規則もあって、それらを実践してきました。

ですが、長年やってきますと、ひとつの規準とか、そのタロット種とか展開法などの独特の決まりはあったとしても、結局、一人一人の個性でタロットリーディング、タロットの活用は異なってくるのを見てきました。

それは私自身のタロットを扱う歴史においても、言えることでした。

ということで、タロットを学び、タロットを活用していく人に、私なりの意見を述べたいと思います。

そのタロットの伝統とかルール、流派など、そういうものを守って、言わば正しくそのタロットというものを伝えたい、教えを守りたい人は、そうすればよいと思います。

そして、逆に、何か自分のやりたいこと、表現があり、それがタロットというツールを使うことによって、うまくできるのであれば、それもありです。

で、一見すると、前者と後者は違うように見えますが、大きな観点からすれば、実はどちらも同じなのです。

要するに、自分がやりたいことをやっているだけなのです。

心からやりたいこと(魂が望むもの)を現実世界で体験としてやる、言い換えれば、これが使命のようなものだと考えられ、本当にやりたいことをやっているのは、使命に順じていると言えます。

従って、ここが一番重要なのですが、タロットを学び、使っていく中で、何か自分(のやりたいこと)ではない、使っていくのが楽しくないどころか苦しい、やめたい、興味がなくなったなど、モヤモヤした感じ、冷めた感覚、一言で言えば違和感があるような場合は、自分の魂(の方向性のための表現方法)と乖離していると見たほうがいいわけです。

私はタロットカードで言うと、「正義」の縛りのようなものがあり、正しくないといけないという考えに支配されがちなところがありました。それは今でもあります。

ただ、それは私の個性でもあり、悪いわけでも、なくさなければならないものでもありません。

もし使命があるとすれば、使命のために、そういう「正義」のやり方を取る傾向があるということでもあります。

同時に、「縛り」である場合は、反対の「解放」とのセットでもあるので、そのこだわりから解放された場合、自分自身にも解放がやってくることになります。

マルセイユタロット以外のタロットについては、私にとっては今も興味がありませんが、だからと言って、ほかのタロットをやっている人、使っている方をどうこう言うこともありません。

その人たちはそれが好きであり、それを使うことで自分を偽りなく表現できているのなら、大いに結構なことだと思います。

私は私で、マルセイユタロットを使い、自分自身を癒し(本当の意味では癒しではないのですが、それはまたの機会にお話しします)、解放していくことのために(大きな意味では霊的成長)、このタロット活用するのが違和感ない方向性なのです。

ですが、ある技法だけにこだわるとか、ある教えは絶対であるとかは以前よりなくなって、マルセイユタロットの数の(7つの)進みで言えば、8「正義」だけではなく、15「悪魔」も、1「手品師」でもOKみたいなところで、大局的には「神の家」、「世界」の視点で見るようにしているみたいな感じです。

ということで、皆さんの今の使っているタロットと、タロットを使った何らかの活動が、違和感なく心からやっていることだと感じるのなら、人がとやかく言おうが、たとえ正統性とか、習った組織からはずれているように思われても、それでいいんじゃないですか、というところです。(笑)

※法律や規則、取り決めがきちんとあって、それを守らなければならないところがある(契約、サインなどして)場合は、それは順守するのは、社会常識としては当然ではありますが。
タロットを扱う人にも役割があり、占いで表現する人もいれば、心理技法的に扱う人もいますし、カードコレクターとして、タロットそのものの魅力を伝えていく人もいます。

みんな大きなタロット界という目で見れば、それぞれの個性・役割に応じて、タロットという題目・テーマの劇で、役を与えられ、演じているということなのです。

私はタロット劇場の中で、マルセイユタロットという題目の中で、また何かのひとつのシーンでの役割を、演じさせてもらっているという感じですかね。

タロットを例にしましたが、人は(やりたい)役者として、人生を楽しむようになっているのではないかというお話です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Top