大アルカナ的見方と小アルカナ的見方

マルセイユタロットの大きな構造として、大アルカナと小アルカナと呼ばれるパートがあり、またそれぞれのパートにも分類や区分が可能なところがあります。

ただその分け方については、思想や考え方によって違ってくるとも言えます。

しかしながら、大アルカナと小アルカナに分けるということは、おおよそ共通する事項になるでしょう。

特にマルセイユタロットでは、絵柄自体、大アルカナと小アルカナ(特に数カードと呼ばれる部分)とでは明らかに違うデザインとなっていますから、そこはタロットを知らなくても、誰もが感じるところでしょう。

ということで、大アルカナと小アルカナでは読み方や意味合いも異なってくるのが普通で、通常は大アルカナが全体性や抽象性を表し、小アルカナが個別性・具体性を示すとされていて、そのような読み方、使い方が一般的です。

ただ、個人的にはその逆もあると考えていて、その反転した使い方をすると、驚くようなことが起こるのですが、それは今回の話題ではありませんので、言及しません。

今日は、この大アルカナと小アルカナの違いを意識しながら、私たちの悩みについて考えてみようという話です。

いきなり結論と言いますか、端的に言ってしまえば、大アルカナはあり方や目的、大きな方向性を表し、小アルカナはそれに向けてのやり方、方法を示唆していると見るとわかりやすいです。

そして、このことから、私たちは、タロットを知らなくても、考え方として、大アルカナ的思考と小アルカナ的思考に分けてみることができると言えます。

タロットで相談を受けていても思いますが、私たちが悩んでいる時、だいたいにおいて、やり方にこだわっているケースが多く見られます。あるいは、そのやり方しか見えてない状態とも表現できます。

つまりは、タロットで言えば、小アルカナの次元で固定されてしまっているわけです。

ここに大アルカナの次元を入れて、小アルカナ次元から飛躍、脱出させていくと、異なる景色、違う思考が生まれてきます。

それゆえに、タロットリーディングにおいても、大アルカナの展開が尊重されたり、時にはそれだけで完結したりするのです。

言い換えれば、私たちの悩みのほとんどは小アルカナ次元で起きており、それに気づくことがもっとも重要であるわけです。

小アルカナ次元に囚われている人に効果的なのは、あり方に戻ることであり、別の言い方すれば、本来の目的は何だったのか、思い出すことでもあります。

極端な言い方になりますが、「目的のためには手段を選ばず」です。

これは(今回のブログでの意味では)、目的を達成するためには、方法はどんな汚い手を使ってもよいと言っているわけではありません。

それとは逆で、自分の本当のやりたいこと、自分が違和感ない状態のために、そのやり方をしてもよいのかどうかを、改めて自分に聞いてみるという感じです。

そのことが自分自身で確認できれば、今思っている手段にこだわる必要は、自然となくなってくるのです。

しかし、なかなか小アルカナ次元、つまりは個々の思う(個人の価値観や強い感情における)良し悪し、快不快などを無視したり、逃れたりすることは困難です。

それでも、例えば、恋愛において、相手との関係で悩んでいても、本来自分はどうなりたかったのかの次元に上昇させると、今の相手との関係性に絶対にこだわるという感覚が薄くなりますし、これは一例ですが、さらに次元を上げて、そもそも人との関係性において、自分はどうありたいのかということ(テーマ・課題)だとすると、「ただ誰かとつながりたい、つながりたかった」となり、それは結局、自分自身とつながる感覚の確認・修復だった、という意味だと気づくこともあるかもしれません。

仕事においても、どうしても経済的なことや将来性についての現実的なことで悩み、苦慮しがちですが、自分はどう生きたいのかというテーマに上げて見直すと、違った解決策も出て来るかもしれないのです。

要は、その方法しかないのか、なぜそれにこだわってしまうのか(プライド、常識、思い込み、洗脳、教育、比較、正義、マウント、自らを守るため、誰か人のため、こだわっている思想・考え方のため、など様々な理由があります)ということを考え直すために、大アルカナはあると見るのです。

ただし、小アルカナの次元が悪いわけではないので、注意しましょう。

物事には段階とかステップ、手順があり、大アルカナの世界にいれば万事解決というわけではなく、レベルや範囲の違いにおいては、小アルカナの次元、やり方が重視されることも当然あるのです。

それは、私たちが現実次元、物質中心の形ある世界に生きているからです。

従って、タロットで小アルカナが存在するのも、私たち人間の生活のために、実際部分でのやり方をいろいろと工夫し、時には効率よく、時には状況によって適切に選ぶために、大アルカナとはまた別に作られた、付加されたと見ることができます。

一方で、大アルカナは、そうした現実次元ばかりに意識が向きすぎて、夢や理想も忘れ、ただ生活に埋没したり、欲にふりまさわれたり、惰性的に生きてしまったりするのではなく、自身の向上、霊的な成長、ひいては人類全体の進化に目を向けて、これまでのレベルや囚われから脱却し、意識次元を上昇させるための象徴的なカードとして表されているとも言えます。

また、大アルカナは長期的、全体的(拡大)視点、小アルカナは短期的・個別(ポイント)視点であり、特に小アルカナは四つのパート(4組、四大元素)に分かれているように、個性、向き・不向き、現実とそのフィールドでの役割や立ち回りを代表的に表します。

大アルカナは逆に、どの性質も全部一人一人にはあることが示されていて、言わば、22枚のカード全部(の象徴性や性格、表現)が、どの人にも存在するという見方となります。

大アルカナのカードの中にも、例えば1の「手品師」と21の「世界」は似たような本質で表されていますが、レベルや次元の違いがあり、大アルカナの世界で小アルカナなのが「手品師」であり、大アルカナでも、もっとも大アルカナ的なのが「世界」と言えましょう。

ということで、実際のタロットリーディングでも、78枚フルデッキを使うことによって、少なくとも、大アルカナと小アルカナが、どういう割合で出現するのかがすぐ見た目でわかりますので、それにより、あり方が大事なのか、やり方に焦点を当てるのかが見えてくるわけですし、クライアントの囚われとか世界観の限界も現れます。

同時に、その解決策もタロットで示しやすいことになるのです。

今日の話は、タロットのことに限らず、自分の悩みについて、マクロ的な目的の方向性から見るか、方法論的なミクロ的なことで見るのか、自分の状況により、どちらかに偏って混乱していないか、あるいは意識が逆になっていないかと、思考整理のための提案でもありました。

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