独立、自立、依存、調和した関係性

世間では、一般的に自立することが求められます。

自立や独立を象徴するようなカードは、マルセイユタロットにおいてもあります。

特に、「皇帝」とか「戦車」などのカードは特徴的かもしれませんし、名前から誤解されがちですが、「悪魔」も一種の強烈な独立性・自立性を表している言えましょう。また、高度で霊的な自立の意味では、「神の家」もあげられます。

ただ一方でカードは、複数以上の人物や動物たちが描かれていたり、単独の人物でも、絵の内容をよく見ると、持ち物など、ふたつのもの、三つのもの、四つのものが描写されたりしているように、図像の中に複合性が見られます。

ところで人は、厳密な意味で誰も一人だけでは生きていけず、この現実世界では、何億もの人で構成され、それぞれが個性を持ち、役割をもっていると考えられます。

マルセイユタロットにおいても、その最終到達地(人間の総合的完成境地、すなわち宇宙とも表現できます)と言える「世界」のカードでさえも、四つの生き物に囲まれ、真ん中の人物も、何か手に持っているのです。

これは結局、人間が現実レベルにおいても、霊的レベルのような高次の状態へシフトしていったとしても、多くの何かに支えられ、また自らが支え、すべては関係や協同性において構成されているのではないかという暗示のようにも思えてきます。

私たちが肉体をもって現実世界で生きているとしても、真の意味で単独の独立・自立はあり得ず、自分は一人で生きていると思っていても、ほかの人間、生き物、モノなどと必ず関係していて、“独立風”の様相を見せている(思い込んでいる)だけに過ぎないと言えます。

では自立・独立は幻想なのか、必要ないのかと言えば、そうでもないのがこの現実次元の話です。

いつまでも親や人に頼って生きていれば、皆が幼児になって、社会が成り立ちません。そうならないよう、人はやはり、ある程度の独立・自立を果たすようプログラムされているとも考えられます。

それは別の言葉で言えば「成長」で、経験・知識の習得と拡大とも言えます。

ですが、先程言ったように、本当は関係性(支え・支えられ)によって、自立や独立が生まれているので、それは意識する必要もあるでしょう。

そうしないと、傲慢・尊大(万能主義)になったり、反対に依存の激しい人物となってしまったりするからです。

自分は自分として自我をきちんと確立させながら、できることとできないことは分別し、自他の役割を応分に、適切に遂行して行けるのが理想でしょう。

人によっては、他人を頼ったり、信用したりすることをしなくなり、信じられるのは自分自身のみとなって、何でも一人でやろうとしてしまう方がいます。

これは適切な関係性が周囲とできていないからで、究極的には自分自身との関係に問題があり、自分を信頼しているようでしていない、自らへの欠乏感・不信感から出ているとも言えますが、とにかく、よい意味での依存ができないのがこういうタイプの人となります。

この場合、自分が今自分として存在しているのは、あらゆる関係性によって形成れさている(成り立っている)ということが無視されています。

仏教的には、存在は縁起(縁によって起きているもの)に表される(結ばれる関係性によって、その場の「ある」存在・役割として確定する)というのと似ています。

自分しか信用していないと、いつも万能でなければならないと必死で生きることになり、人に弱さ見せられなくなります。

ですが、ずっと緊張して無理をしていますので、どこかで限界が生じて、人にさらしたくない姿を見せるようなことにもなります。

あるいは、人に裏切られたり、横領されたり、仕事のできない人が周りにいたりで、それは自分の信じていること(人は信用できない、自分しか頼れない)が外に表現されているわけで、言わば、自分で起こしているようなものなのです。

一方、共依存的に、特別な人とか何か(宗教組織、特別なモノなど)に互いに依存し合っていると、この関係性のみ強固になり過ぎ、ほかの関係性が希薄になったり、依存している関係を邪魔すると誤解して、他の関係を攻撃、切ろうとしたりします。

これはかなりいびつなことであり、強い依存なので麻薬のようなもので、これがないと生きていけなくなってしまいます。

マルセイユタロットの「節制」は、救済を表すカードで、天使姿の人物が描かれていますが、その手にはふたつの壺があります。

このカードは、マルセイユタロットのシステムの中では、バランスを示す「正義」のカードと関連性があり、両方から考えますと、まさに救済には関係性のバランスが重要であることが示唆されています。

先述したように、私たちは、誰も単独で自立や独立ができなく、実は多くの関係性のもとで立つことができているわけです。

その関係性を尊びつつ(自立を助けてもらっていることを意識しつつ)も、特定のいびつな関係性には注意し、自らの意思で、自然な形で、いろいろな人、モノとの関係性を結び、助け、助けられしながら自立・独立していくのが、本来の調和する道なのだと考えます。(調和と言えば、マルセイユタロット「星」のカードとも関係し、「星」は流す(与える)ことのできるカードです)

以前、「杖を持つこと」をタロットカードに杖が描かれている人物などからお話しましたが、杖を持って歩くこともまた、関係性を適切に扱うことと同意だと思います。

簡単に言えば、頼って、頼られてが、人として、この現実世界としての当たり前の生き方なのだということです。

ただ、その頼り方・頼られ方が不自然や不調和にならないよう注意しましょうというわけです。

不自然になってしまうのも、つまるところ、自分軸がしっかり確立されていないから、言い換えれば、自分自身との関係性が滞っているからと言えます。

無理矢理な自分、よく見せようとする自分、本当はできない・したくないのに不自然に続けている自分など、自分の正直な気持ちと向き合い、自らの内と相談しながら、少しずつ、自分がどうありたいかを取り戻し、素直なトータルな自分へと還元していくと、必死で得よう、保とう、失わせまいと、物事をコントロールする苦しい生き方から、必要な時に必要なものが現れる関係性の生き方へと、自分の人生が組み替えられていくことと思います。

マルセイユタロットの大アルカナを見ていると、その道が示されているように私は感じるのです。

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