あなたはどちらを選択するか。

ある新聞記事を読んでいますと、その昔、平安時代前期、西暦でいうとおよそ800年からの百年間はかなりの天変地異があったことが記されていました。


無論、今回の震災関連によって掘り起こされた歴史認識への記事です。


皆さんも一度貞観時代とか延暦・仁和などで調べてみればわかると思いますが、本当に数多くの災害が昔なのに記録として残されるほど発生していたようです。


富士山の噴火、関東地方の地震、伊豆や東海地方での地震、阿蘇山の噴火・・・そして今回のものに匹敵する三陸沖の地震と大津波が起こったのもこの頃でした。


私が驚いたのは、さらにこの時代、越中・越後、播磨国とか、いわば平成での大地震の土地、新潟や神戸とほぼ同じか近いところでも起こっていたということです。しかも東南海地震までもこの後、発生していたことがわかります。


これらは単なる偶然と片付けられるでしょうか?


昨日の想定外の話ではありませんが、何かここまで来ますと、とても今回のことが「想定外」だったとは思えなくなってきます。


私はここで皆さんに予言をしたり、不安をあおったりしているのではもちろんありません。


私が言いたいのは時間の流れと繰り返し、そして意識の変換のことなのです。


実はタロットに流れる古代の時間概念は直線ではなく、円環思考だと私は考えています。


これは時間は単純に過去から未来へ直線で流れていくというのではなく、円として閉じており、同じところに再びもどって来るという発想です。つまり同じことが繰り返されるのです


そのため、「歴史は繰り返される」と言われるがごとくの現象が生じます。


しかしながら、まったく同じことが起きるということではありません。同じような流れや出来事が象徴的に現れつつも、その対応や意識の変化によっては次元を超える形で体験することになり、それに応じてまったく異なる世界を生きることにもなるのです。


にわかには、何を言っているのか理解しがたいかもしれません。


これを図で説明すると少しわかりやすくなるでしょう。その図とは「らせん」です。


ひとつの円を描いて、さらにその円の始点であり終点の部分を、一段上に持って行き、そこからまた始点として円を描き、終点を同じように一段上げて新しい円の始点とする・・・というように繰り返していけば、ちょうど全体像から見れば円がらせん状に上昇していくように見えるはずです。


このことは、同じ道をたどりながらも次元を上げれば同じ経験ではなくなるという意味でもあります。(らせんの円が、それぞれ立体的には空間の位置が違うことに注目してください)


もしも平安初期9世紀頃の災害・天変地異を記憶や記録に留めて、その再現をシミュレートしていれば、私たちの次元は上がり、これほどの大きな被害は出なかったかもしれません。


これは単純に「備えがあれば物理的に大丈夫であった」という意味ではありません。意識の転換・変換があれば、同じ災害を経験する次元そのものを回避するというようなものに近いです。


またこのようなインパクトによって、何らかの意識の上昇を促す働きがあるのかもしれないと想像できます。


しかしここで注意したいのは、決して円は上昇のみではないということです。


先述したらせんの円も始点と終点部分を下げれば、次の円はどんどん下降していくことになるからです。


大きな円はひとつの時間や出来事の繰り返しの流れだとしても、言ってみれば、そこから上に向かうか下に向かうかは、個々人の意識によって選択が任されていると考えられるのです。


上の選択の人が集団として多くなれば全体としても上に行き、下の人が多いと転落・下降が待っているということかもしれません。


ということは、私たちは一人でも多く上昇することを思ってその選択をし、気概と勇気を持って新しい時代や次元を創り上げていく姿勢が求められているように思います。


少なくとも下降する意識ではなく、上昇していくイメージを自分の中に抱いておくことは、これからの時代、とても重要だと感じます。


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