あと何年生きますか?
昨日は物事を「始まりから見るか終わりから見るか」によって変わってくるというようなお話をしました。
それでは今日は、この「終わりから見る」ということを、また別の観点でもって説明したいと思います。
実はそれはとてもシンプルなことです。
人生でいえば「終わり」、つまり言い方は悪いですが、「自分の死」を想定して今を見ていくということです。
こうした場合、悩んでいることが意外にあっさり解決してしまうことがあります。
それは結局昨日言ったことと重なるのですが、大目標、到達点から見れば、現在悩んでいることも実にささいなことのように見えてしまうということがあるからです。
またあるいは大目標の前では、小さなことに関わっている暇がない、もしくは今やっていることが本質的に目的と合致しないことに気付くという状態にもなるからです。
そしていったんは悩み事から解消されることもあるのですが、今度は逆にとてつもない恐怖や不安にかられることもあります。
なぜなら、死を考えますと、「もう、あとこれだけしか自分の人生は残されていない」という事実に気がつくためです。
たとえ輪廻転生が仮にあったとしても、今の「自分」で生きているのはまさにこの時だけと言えましょう。
この「自分」が現実の世界で生きていられるのも、たとえ病気にならなかったり事故に遭わなかったりしたとしても、寿命から考えて誰もがそう多くはないはずです。
今が10代でも70年生きられればいいほうかもしれません。ましてや30代、40代ともなれば本当に残りわずかです。
そしてよく歴史を見ていくと、そんなに安定して同じような状態が続く時代はないのです。長くてもせいぜい200年程度ではないでしょうか。
その中でも流行や習慣、様式、常識といわれる事柄が同様に続く期間は、さらに少ないのです。100年いや、50年もあるでしょうか。たとえば日本の今のスタイルも戦後50~60年そこそこです。
そう考えますと、自分の生きている時代と人生は、誰にとってもどの時代の人でも非常に特別で貴重だということになります。
また永遠にまったく同じことや安定した時が続くこともないのだと思うことができます。
今、日本では大きな出来事が起こり、これから全体としても個別としてもすさまじい変革を迎えると言われています。
少なくとも今までの数十年とは大きく異なってくることは誰もが実感していることでしょう。
となれば、自分の人生を逆算し、残り少ない時間をいかに有効に質として濃密に生きるかということが問われてくると思います。それも変革の潮流の中で、です。
安定の意味や、これまで言われていた幸せ観(感)というものも変化していくかもしれません。それは個人としてもです。
であるならば、最終的には大きな目標と自分の感性・直観を大切にし、自分の思う自己実現、自己表現も迷わず実行していくほうがよいかもしれません。もう時間がないのですし、自分が変わることが全体としても要求されているからです。
とはいえ、あせる必要はありません。前にも書きましたように、「終わり良ければすべてよし」であり、最終地点で「よかった」「生き抜いた」「すばらしい人生だった」と思えれば成功であり、その人にとってそれまでの道筋は栄光となり「完成」に至ったとも言えるからです。
ただやはり、無目的に自分をただ欲求のままに、あるいは流されるままに生きるという態度をするのではなく、向上心をもって意識的な生き方をし、学びと実践を続けていく人生を歩むことのほうが限りある命と時間を高められると考えられるのです。
それが自分のためでもあり、また人や社会のためにもなっていくと予想できます。
そのひとつの精神的ツールとして「タロットマンダラ」を自身の心にもっていると、人生の羅針盤として役に立つのではないかと私は考えています。
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