ゆるゆるで癒し系仕事をする場合もあります。
少し前の記事で、「癒し系のお仕事をされる人は、自分の仕事が商売であるか否かをきちんと認識するべき」というようなことを書かせていただきました。
結構厳しい言い方になったかもしれませんが、これは皆さんというより自分自身へのメッセージのようなものでもあり、タロットでいえば「正義」的な記事でした。
今日はその関連ではあるのですが、逆に悪魔的(やんわり楽しい)といいますか、救済の天使のような意味では節制的とも言いますか、そういう観点で書いてみます。
癒し系の仕事と言っても、「仕事」という概念を広く持つことによって、それはまさに「仕える事」として、いろいろなことに適用できます。
とにかく遊びではない、公的なワークが仕事だと考えれば、ボランティアでも何でも「仕事」になります。
ですから、癒し系の仕事をするという人でも、大きな意味での仕事をするのだということで見れば、以前言ったような「商売か否かの区別を意識する必要」がなくなってくる場合もあります。
悪く言えば中途半端、でもよく言えば折衷、中間、無理しないこと、ゆるやかな人と社会への貢献と言えましょう。
それはどんなスタイルかといえば、たとえばご主人や奥様、パートナー、親によってとにかく生活のお金はあるものの、自分がもっと自由になる意味で仕事してお金を得たいという場合。いわばパートタイム的な発想の仕事です。
もうひとつは、無報酬でもわずかなお金でも、とにかく自分が人様の役に立っていることが自覚できるような仕事がしたいというものです。これは自己実現と社会貢献を併せたボランティア的な仕事と言えましょう。
サービスの価値交換にお金というものをあまり意識しないというスタイルとでもいいましょうか。(前者の場合は、意識しすぎるとバランスが崩れたりします)
最初から枠をある程度設定した形で行う仕事なので、その範囲内で行える限りは、ある意味自分にとってのプレッシャーや縛りは逆にない(少ない)というものになります。
不思議に思うかもしれませんが、ある枠組があることでむしろ人は自由になれるのです。たとえば、法律と警察システムがあるから、無法地帯にならず、びくびくせずとも自由に過ごせるというものです。
これはタロットで言えば、「正義」と「吊るし」を見ればわかるでしょう。(ともにロープがあることがわかります)
こういった枠組の中でのゆるやかスタイルの癒し系仕事というのも可能ですので、この限りにおいては商売うんぬんについてはあまり考えなくてもOKだと言えます。
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