人生の効率
あなたのこれまでの人生の中で、ずっと続けているものが何かを調べてみると、意外なことがわかってきます。
続けているものと言っても、好きなものはむしろ当然です。
好きだから続けられるのは当たり前といえば、当たり前だからです。ですが、改めて振り返ると、「ああ、これは自分が好きだから続けているんだな」と気がつくこともあります。
たとえばはっきりしたものではなくても、「何となくおいしい店を探すことは続けているなぁ」とか、「旅行は毎回規模は違うけど行っているなあ」・・・というようなことはあるものです。
そこから自分の好きな表現のスタイルや自分が活き活きすることはどういうことをしている時なのかというものがわかることがあります。
何もおいしい店を見つけることを続けているからといって、単に食べ物や食欲に注目するのではなく、その背後にある意図を見つけることが重要です。
本当に自分は「おいしい物を食べることが好きで店を探している」のか、あるいは、そのおいしい物を出している店を誰かに知ってもらうという、「情報提供することが好き」なのかという違いです。
もし後者だとすれば、あなたはおいしいものではなく、「情報を知らせる」こと、「教える」ことが好きなのかもしれません。
だとすれば、おいしいものという事や食べ物とは関係ないかもしれないのです。たまたまそれが食べ物と結びついていただけの可能性もあります。
逆に、嫌だけれども続いてるもの、続けざるを得ななかったもの、実はこれも意味があるのだと考えてみてください。
たとえば、「家業を嗣ぐのは嫌だったけれど、家のために仕方なくやっている」「生活のためにこの仕事は本来やりたいことではないけれどやっている」「友人とのつきあいのために、やむなく続けている」ことなどなどです。
嫌だけれど続けざる得ないのは、そうさせる(させられている)意味があるのだと思いを馳せてみるのです。
そうすると自分が学ぶべきもの、あるいは自分が避けたほうがよいものもわかることがあります。
そういったことに真に気がついた時、あなたはもう嫌々それをやることはなくなり、むしろ積極的に取り組めるようになるかもしれませんし、時にはその仕事や今までやってきたことから離れる可能性も出てきます。
それどころか、あなたの生きる道、天職や使命といったものも見えてくるかもしれません。
そう考えると、人生は本当に大きな意味(宇宙や天の意図という視点から)ではとても効率のよいものと言えます。
もしあなたが効率が悪い、無駄な人生を送っていると思うのなら、何よりも悪くしている)のは自分自身(の無知)でしかないということにもなるのです。
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