見ることで世界が生まれる。

自分の見ている景色や光景が、意外にも強く自らの世界形成に影響しているものです。


たとえば、すでに私たちは3.11のことを忘れかけているのではないでしょうか。


いえ、東北・関東の被害に遭われた方はまったくそんなことはないでしょう。


しかしその他の地域の人はいかがでしょうか。


一応、気にはしているものの、数ヶ月前の状況とは異なっているはずです。


それは確かに時間が経って、いろいろなことが処理されてきている、あるいは復興に向かって動いている、立ち上がっているという前向きな意味で変わってきたこともあります。


けれども、おそらくほとんどの人は、インターネットやテレビ、新聞などで報道される映像の量が少なくなってきたから、そのこと自体、考えなくなってきたということが大きいと思います。


また文字や言葉としての情報よりも、映像を見る(見ていない)ということのほうが影響が大きいと考えられます。


3.11からの数日と、その後しばらくは連日地震と福島原発関連の情報で満ちあふれ、津波の衝撃的な映像や原発への対応のシーンを見ないわけには行きませんでした。


実際に当初はあまりの映像の連続に、気分が悪くなったり、哀しみで被災せずとも気力を失われたりした方が続出したほどです。


私たちは、「大変なことが起こった!」「大変な事態が進行している!」と、まさに映像を見て感じ、自分がその世界にいることをバーチャルで体感していたわけです。


ところが今はテレビも普通ですし、節電の呼びかけくらいはあっても、原発問題でさえ、ほとんど報道されない状況に変わっています。


政治の選挙より、アイドルグループAKBの選挙が加熱に報じられたり、何か毎日楽しい(目をそらす)雰囲気があえて作り出されているかのようです。


この限りにおいては、もう災害などなかったかのようで、いいか悪いかは別として、たとえ事実は大変な状況であったも、「全然OKな日本!」「行けるよ、日本!」という気分にさえなってくるでしょう。


さてここで何がいいたのかと言えば、今回は「ある方向に誘導されている」というような洗脳的な話を指摘しているのではなく、自分が見ている映像・世界そのままを「本当の世界」だと認識してしまう仕組みが人にはあるのだということです。


ということは、日々自分が見ていることが、いかに自分の世界を創り上げていることに影響しているのか、もっと考えたほうがよいのです。


おそらく福島の人の感じている・信じている世界と、関西の人の世界ではかなり別の世界が存在していると言えます。


その意味では、同じ時空にいながら、まさしく別世界に生きていることになります。


何も災害時に限らず、平常時でも、おそらく地域や国が違えば、いや、もっといえば信じているもの、見ているものが異なるだけで人は別の世界にいることになるのです。


これを逆に考えれば、自分の今いる世界(今の自分の状況)を変えたければ、見るものを変えなさいということになります。


単純にいえば、穏やかなものを見るような生活(環境)であれば、あなたは穏やかになり、争いや激しさを目にし続ければ、あなたの心も争いの世界(人と争わなくても、自分の心の葛藤という意味でも争いになります)に移行するでしょう。


これとは別に自然のサイクルやバランスもありますから、片方だけのことを意識して見ているだけでは、やがて揺り戻しという感じで、逆のことをあえて見るようなことが起こる可能性もあります。


しかしながら、見るもの、見ているものがあなたに深く影響することは覚えておいたほうがよいかもしれません。


ちなみにタロットは絵柄であり、映像です。タロットが効果的なのも、ここに理由のひとつがあります。(単に映像を見ることだけではなく、タロットの場合は図柄・映像自体に秘密があります)

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