イデアとアニメ、女帝の関係。

イデアという言葉があります。


もとともは古代ギリシアのプラトンという人が使用した哲学用語ではありますが、今は理念や理想、永遠、アイデア・ビジョンというような様々な意味でとらえられています。


原義的な意味はともかくとして、私はそれらはすべて正しいと思っています。


つまりイデアとはイメージや形、さらには実際においての原型(元型)・源泉に当たるものだという意味で解釈しています。


このイデアと特に結びつくタロットカードは「女帝」です。(マルセイユタロット)


女帝はイデアに旅立ち、その世界を感じることができます。


このイデアと現実のこの世には川や海のような隔たりがあると言われていますが、このことはタロットカードでは「女帝」とそれ以外のカードとの関連で見ることも可能です。


いずれにしてもイデア世界とこちらでは何らかの境界線があるものと考えられ、イデアは完全で理想、そしてこちらの世界は現実であり、グノーシス派(の一部)では問題がある世界だと想定されています。


私たちのはもともとイデアにあったので完全や美、真理を知ってはいるものの、こちらの世界に落とされた、あるいは修行のためにあえて来たことにより(肉体を持つということもそのひとつです)、いろいろと苦労に耐えないという解釈があります。


時に、よくアニメーションや動画・漫画、芸術の世界は非現実的だと言われます。しかし同時に、民族や世代を超えたある原型的なもの、普遍的な神話的要素などが描かれていることも少なくありません。


日本のアニメや漫画で結構古代密儀や秘教的なこと、魔法的なエッセンスがちりばめられているのも偶然ではなく、イメージの世界なので作者・製作者がイデアに接触していると想像できます。


従ってアニメを見ることは逃避(現実世界とは違うので)でもありますが、イデアに飛翔しているとも言え、そこて原型に接し、創造的な力を得ているとも述べられるのです。


また原型に接するということは魂(たましい)的になるということでもあり、癒しであり、いわゆるスピリチュアルな傾向にもなります。


反面、自他の境が希薄になって共同意識が芽生えやすい代わりに、個性や物質、現実とは乖離しがちになっていきます。


従ってアニメ・漫画を見る・読むことは少なからずその両面の影響があると考えるべきでしょう。要は自分の状態に応じて見方の選択をすればよいということになります。


タロットでいうと「女帝」ばかりでは「皇帝」の力を呼ぶことはできませんが、「女帝」なしではイデアにたどり着くことも不可能です。


自分の創造性が失われつつある人は、イメージを喚起させる映画やアニメ、芸術作品を鑑賞するとよいでしょう。

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