世の中に絶対はない。
世の中には絶対ということはないと私は思っています。
あるとすれば宇宙の真理のようなものかもしれません。
しかしながら私たちは意外と絶対という言葉を使いたがります。
でもよく考えてみれば、ポジティブな意味にしろネガティブなことにしろ、「絶対」という言葉を使う場合や人のことを思うと、実は怪しいことだと気付くはずです。
「絶対大丈夫だから!」「絶対うまく行くよ」「絶対災難に遭います」「絶対失敗するね」・・・
こう言われたらどうですか?
何かうさんくさく感じたり、腹が立ったりするでしょう。
でもこれが現実の生活の中において使われると、素直に信じてしまったり、疑いを持つことがなかったりします。
やはりそれは雰囲気や状況に流されてのことが多いでしょう。つまりは言葉そのものよりも、気分や感情に左右されているわけですね。
ですから上記のように文字で表されると冷静に「おかしい」と判断できるのです。
ただ必ずしも「絶対」の言葉を使うことが悪いわけではありません。
極端にネガティブになっている人、落ち込んでいる人などには、励ます意味で、強調・勇気づけの言葉として、その響きから来るエールのような形で発することがありますし、それは時に効果的です。
私が本当に言いたいのは、実は言葉の問題ではなく、絶対と決めつける心理状態の危うさについてです。
絶対ということは逆にいえばそれ以外あり得ないと考えることであり、もしそれ以外のことが起こったとき、いろいろな意味でショックが訪れます。
人であれ事柄であれ、絶対と信じていたものが崩壊するわけですから、いわば自分のアイデンティティを失うかのごとくの状態になります。
人は自分の存在の意義が失われた時、自分に存在価値がないと思った時、生きる希望を失います。最悪の時は死の衝動に駆られます。
ですから絶対と思うことはとても危険なのです。また学びの意味でも、「これで絶対だ」と信じた時から成長は止まります。
ほかにも絶対ということを言わないことでのよい意味があります。
それは自分の人生が「これで絶対である」と思うことがなくなるということです。
絶対と考えない姿勢でいると、人生(以外のことでも)は変転するもの、生々流転なるものと一種の達観した境地になることができます。
悪いことがあっても過剰に落ち込まずに「またいいことがある」と思えますし、反対に良い状態であっても心を引き締め、謙虚になることができます。
タロットカードでいえば「運命の輪」であり、カード全体の道筋のようなものとも言えるかもしれません。
人様の相談をしていると、本当に絶対などありえないのだということを思い知らされますし、いろいろな意味で人間のすごさと可能性を感じます。
あなたの「今」も絶対ではない、固定されたものではないことを思うと、まだまだやれること、成長できる部分はあると考えられるでしょう。
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