違いのわかる女と男
昨今、個性が大事とか、ブランディングを重視とかいろいろ言われているところですが、私たちは意外にも違いということに鈍感です。
というのは、最近はあまりに情報が多くなりすぎているため、処理としてもシンプルにしようという働きが自動的に起こっていると考えられるからです。
いわばたくさんの情報を入れないように遮断している、考えるのが面倒くさい、注目するのは少しだけにしておこう・・・というような感覚です。
これが言葉として出てくると、「どうせ何をやっても一緒だし」「どうせ同じでしょ」というようなものになってきます。
ところで思考やエネルギーの方向性として、全体や統合・統一に向かうものと、反対に分離・独立に向かうものとがあります。
言い換えれば集合的な意識と個性的な意識との方向性の違いであり、抽象と具体の区別でもあります。
この両者(方向性)は深いところでは結局は同じところに交互に戻るような循環性があるのですが、いずれにしろ、言ってみれば階段を降りたり登ったりする方向性があるということです。
実はタロットはこのふたつの方向性を意識し、活用するツールでもあります。
特にマルセイユタロットの、ある技法においてのリーディングは、カードの象徴の異質性と同質性を見ていくことに特徴があります。
最初に私たちは違いということには無頓着になる傾向にあると言いました。
違いや異質ということに関心がいかないと、没個性になるばかりか自分が埋もれてしまい、多くの中の自分でしかなく、空しさ、存在感の希薄化を招きます。
それが進むと、生きている意味がわからないといったような悩みになったり、ひどい時にはうつ状態にもなってしまったりします。
私たちが実際に生きているこの世界は夢・幻の世界ではなく、現実の世界です。そこは言わば形ある世界であり、形があることは区別や個性を呼びます。
人としては同じでも皆それぞれ個性があり、別々の「自分」として生きています。
異質性、事やモノの違いに気付く力が増していくと、それだけ現実世界への適応と自分の特質もわかってくることになり、生きるエネルギーと意味が湧いてきます。
その訓練としてもマルセイユタロットのリーディングがあるのです。
リーディングというものは人様のサポートや援助、占い情報の提供として他者に寄与するものと考えがちですが、そうではない側面も持ちます。
つまりは自分のためです。
異質性を見る力を養い、自分の個性を発見し、そして全体(人類・地球・宇宙など)へと再び統合的観点を進めていくのです。
いきなり地球市民を目指すより、自分が何人(なんぴと)であり、どの国と地域の出身であり、どのような背景と個性を持つのかを知ると、他の国の人々や個性をもった人への理解もしやすくなり、敬意も持てるようになるということに似ているかもしれません。
違いのわかる女性や男性になりましょう。
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