占いの「当てる」「当たる」ことについて再考。

タロットといえば占いと一般的には認識されています。


そして占いといえば「当たる」のが一番の関心事であり、当たることが占者の能力、いい悪いの評価の基準になっていることもあります。


ここで、「当たることがいい」と思う人の心理を考えてみると、この奥底には不安や恐れが眠っていると推測できます。


過去や現在の自分のことが当たっていると思えれば思えるほど、未来に対するその占い師の言葉にも信憑性が出て来ます。


未来のことに限らず、もっと行き着けば、その占い師のすべての言葉は正しいことを言っていると思うようになるでしょう。


そして不幸を避け、幸せになるためにはこうすればいいのだということを告げられると信じないわけにはいかなくなりますし、それを言ってもらえることは「当たる」とあなたが思っている占い師からのものでは、すごく安心できることにもなります。


つまり不安や恐れの解消になるわけです。もっと言えばお墨付きであり、免罪符であり、よい言い方をすれば幸せへの切符(を入手したいとう気持ち)です。


別にこれが悪いと言っているのではありません。


今回私が言いたいのは、占いに限らず相談というものは結局、人の心の不安を解消したり、自分のやっていることに確信や意味を抱いたり(間違いではないと思う)することをサポートできるかということになるということです。


だからその観点に立てば、当たる(当てる)ということは目的ではなく手段になるのだと言えます。


相談者のすべてを見通し、全部当てていくのはどんなスーパーな人でも無理でしょう。やっているのは神ではなく人間だからです。


いわば神や宇宙、大いなるものという完全な存在・状態からの象意(象徴している意味)を、人間がモノや形・感覚を通して解読・解釈しているようなものです。そこに人としてのフィルターが入るのは当然です。


ですから完璧ということはないでしょう。すべてを見通し当てることで危険や問題の要因と対策を提示できればそれに超したことないでしょうが、それは不可能というものです。


となれば最初の見地に戻り、人の不安をなくし、勇気や自信を取り戻すことに目的を置けば、占いや人の相談ということもいろいろな手段が取れることがわかってきます。


クライアントはもとかく、「当たった、当たった」と占い師自身が当て自慢になってしまっては本末転倒です。


当たっても、当人(クライアント)の心が不安のままでは意味がないからです。当てる技法を極めることはよいとしても、それが何のため行うのか、目的意識を持たねばなりません。


占術技法そのものの研究と人の生身での相談とは自ずと異なるところがあるのです。それは原理と実際の違い、イデアと現実の違いと言ってもよいでしょう。


タロットでも同じです。タロットをどう使いたいのか(目的)によってやり方はいくらでも変容していくのであり、目的がはっきりしていればどう使おうがそれはOKなのです。


スプレッドや読み方の違い、それは目的の上では些細な手段の相違に過ぎません。大切なのはタロットで自分は何をしたいのかということになるのです。

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