「世界」のカードから理想世界を見る。

これは逃避の発想とつながる危険性があるので、強くは言いませんが、自分の問題というものが実は周囲との波動との違いによって起こっていることもあると想像しています。


タロットカード(マルセイユ版)でいえば、「世界」の逆の解釈の違いということになります。


よく精神世界やスピリチュアルなことを探究している人の間では、「問題はすべて自分にある」と言われることが多いようです。


それは究極的にはそうかもしれません。


しかしこの世は実際にいろいろな人が現実的に関係し合い、様々な想念も飛び交う世界です。


これを自分一人の問題や責任として考えていくと、自分を追いつめることにもなりかねません


現在、ニートや引きこもりの人、あるいは社会にうまく適応できない人が増えてきていると言われています。


その場合、だいたいはそのような人たちを「問題」ある人ととらえ、そうなっていない人は問題なし、正常だと考えます。


しかし果たして本当にそうでしょうか。


もし反対に彼らが正常であり、私たちが異常として想定するならば、私たちの社会・世界がどこかおかしなくなっていると考えられます。


その抵抗や反応として引きこもりになったり、社会に適応していないように見えていたりするだけかもしれないのです。


たとえば極端な話、「正直であることがよい」と考えている人が、あるグループに入った時、そのグループが詐欺集団であったならばどうでしょうか。


詐欺集団としてのグループの論理が正義としてとらえられることがあるので、その場合、正直者はまさにバカを見て、悪人だともみさなれ、グループから逸脱した不適応者だと烙印を押されるかもしれないのです。


正義という観点で見れば、何であろうと立場が変わればその正義はコロコロと変わり、人の正しさも相対的なものになってしまうわけですが、これを次元の成長、宇宙的な真理でみればそうとは言い切れなくなります。


先述した例では正直がダメで詐欺がよいということは私たちの通常のレベルではまず考えられないでしょうし、普通はその逆をノーマルで正常だと取ります。これはやはり人としての成長・真理的なものに近いものだと思います。


これと同様に、社会でうまく生きられない人はもしかすると、どこかある面では進歩しているかもしれないのです。


少なくともこれは言えます。


それは「世界のバラエティさ(多様さ)を許容できる世界に私たちはまだ発展していない」と。


もちろん今の社会に不適応になっている人を少しずつ適応させていくサポートや、本人たちの努力も一方では求められることもあります。


しかし大きな視点で見ると、通常と見える私たち自体が変わらなければならないこともあると予想されます。


いわば不適応になっている人が自ら進んで社会に適応していく社会や世界になっていればいいわけです。


また正常と見えた私たちのほうでさえ、いつ不適応者となるかもわからないのですから、やはり世界の許容量の拡大は必要でしょう。それは逆に私達一人一人の個人の意識の拡大が鍵かもしれません。


それが究極的に進めば、どんな人も受けいれられ充実した人生が過ごせるシステムのある世界となるでしょう。


最初に出したタロットカードの「世界」、これは4つの生き物に囲まれている人物を描いています。


「世界」のカードを逆向きで見ると、中央の人物を私たちは四面楚歌のように孤立しているように思いますが、実は周囲の生き物が真ん中のレベルに追いついていないことも考えられるのです。(逆位置解釈の場合)


すべての人が有機的に活かしあい、それぞれの個性と役割をもって全体性に貢献していくような形、それが「世界」の正立状態だとも言えます。


それが私たち個人の成長に関係しているということが、まさに「世界」のカードからも理解できるのです。

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