タロットの凶札を考察 その2
昨日の続き です。
一般的なタロットにおける凶札的扱いをされる二枚のカード、「塔」(神の家)と「死神」(13)について語っています。
昨日は凶と意識するその根本には、人間ではコントロールすることのできない「神」なる自然の領域への畏れ(恐れ)があるとお話しました。
本日はそこから一歩踏み出し、二枚の畏れを見ることで、これらを凶的に意識し過ぎないようにする方法について述べてみたいと思います。
そもそも22枚の大アルカナに吉凶やランク付けをしない見方をすれば、何もこの二枚を忌み嫌うことはなくなるどころか、人間にとって必要なよいカードであると認識できるのですが、今はあえて吉凶的な見方をしている範囲で説明しています。(それゆえ、あえて私が通常読んでいる「神の家」や「13」という表現ではなく、「塔」や「死神」とも呼称しています)
まず大切なことは昨日の考察です。
通常、二枚に対する恐れは、自分にとって都合の悪いことの起こる前兆として意識することで、その「不安」が呼び起こされているように思えます。
しかし実はそれは自分たちが制御できない「神」(の分野・力)に対する畏れだと説明しました。
そしてそのことから導き出されるのは、逆説的なのですが、私たちがこの二枚を恐れる原因のひとつには、神への畏敬の念が少なくなっていることがあげられるのです。
特に敬う気持ちが少ないのです。私たちは近代以降、何でも人間の力でコントロールできる、理解できると考えてきました。
そのことは悪いことではなく、思考と科学の発達を呼び、無知蒙昧・迷信の世から私たちを救って来ましたし、これからも人類に恩恵を与えることでしょう。
ただしやはりすべてを人間が制御できるものと考えるのも問題でしょう。
私たちは何者か、大いなるもの(神や宇宙・天という表現できるもの)に生かされているのだと感じつつ、私たちにできる範囲で努力していくという視点が大切な気がします。
人智を超えるわからないことは神の領域だと思えば、すべてをお任せする気持ちにもなってくるのではないでしょうか。これは人間の行動・努力を放棄すると言っているのではありません。
神や宇宙に生かされているという視点を持ちつつ、無理のない範囲、必要の範囲と姿勢で自然と向き合っていくということになるでしょう。
言ってみればバランス感覚であり、全体的な観点から局地的・局所的な集中・過剰や弛緩・不足を調整していくというものでもあります。
川の流れに無理矢理に逆らって生きるのではなく、流れに乗って自然の法則に従い努力するというものとも言えましょう。
ということは、大事なのは宇宙や天・神の法則を知ろうとすることです。それがわからないと、自然に合致することもできないからです。先の例でいえば、川の流れがどのように動いているかを知るということになるでしょう。
その上で川を少し動かしてもいい時もあるでしょうし、反対にそこを動かしたり止めたりすれば全体に影響するということでダメな場合もあると思います。
さて、二枚(「塔」「死神」)について戻りますが、結局、この二枚に対してどうすればよいかですが、端的にいえば恐れるのではなく畏敬の念(畏れと敬いの心)を持つということになるでしょう。
日本人はこのことには敏感に昔から気付いており、神社や鎮守の森、今で言うパワースポット的なところは聖域として自動的に守る工夫を凝らしていました。
たとえば神社のあるところはその下に断層が存在する場所も多いことがわかっています。
断層は今では地震と結びつく悪いイメージでとらえられていますが、いわば大地のエネルギーの噴出箇所でもあり、溜まった大地の爆発的エネルギーを調整している場所でもあると言われています。
大地のエネルギーは地震を引き起こす恐いエネルギーでもありますが、そられを畏れつつも、敬い鎮めることを日本人は物理的にも精神的にもしていたと考えられます。
聖域として残していなかったら、やがて町や都市ができ、大地のエネルギーをふさいでしまうことになって、溜まったエネルギーが地震や火山となって爆発していたかもしれません。
面白いことに、タロットではカードの数でいえば「塔」「神の家」の次は「星」であり、「死神」「13」の次は「節制」になっています。
次のカードが非常に穏やかな祈りや自然、交流や調整を示すカードになっているのですね。特にマルセイユ版では顕著だと思います。
よって、私たちが凶札と認識しがちの二枚にすることは、敬いお祀りする(ような気持ちでいる)ということです。
このカードを引いてしまい、もしかすると自分にとてつもなく凶のことが起きるかもしれないと思って恐怖するかもしれませんが、このカードたちは元来人智を超えたパワー・神なるエネルギーを象徴すると考え、自己の傲慢さを反省し、自然や神を敬い、生かされている感謝の気持ちを持つことです。
いわば、あなた自身が「星」や「節制」となって、荒ぶる神を癒す気持ちになるのです。
また、わからないこと、恐いと思っている運命も神の思し召しだと思って自分を投げ出してお任せする境地になってみるとよいでしょう。
そうしていると、カードを吉凶でとらえていたのは、実は自分の生き方が吉凶的な考え方をもとにしていたことに気がついてきます。
そのことに気がつけば、カードの読み方・見方も変わり、あなたの生きるフィールドも別の次元へと導かれます。
これがとても重要で、楽になる生き方なのです。
恐るべきことに、あなたのタロットカードの使い方によって、あなたの生き方・考え方も規定され、そうした人生を歩んでいくことにもなるのです。
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