タロットの数と「世界」

タロットの大アルカナにはナンバーがふられているように、数の進行に従って拡大や発展をしていくと見ることができます。


タロットはゲームとして使われていた歴史が長いですので、おそらくはゲーム性を考慮して、ナンバーが機能していたと考えられます。


たとえば数(ナンバー)が上がるほど強いカードになるという具合に。


しかしこれをそのままタロットの理解やリーディングに流用してしまうと、単純に数の少ないカードは悪いカードみたいな認識になるおそれがあります。


もっとも、吉凶的判断での「占い」として活用する場合は、それでもOKでしょう。というより、おみくじ的に引くことができて余興としては面白いかもしれません。


ですからやはり数によっての優劣を決めると、どこかゲーム的になるのです。


とはいえ、数の大小によって変化してくるという観点も悪いことばかりではありません。


ひとつには「数」を宇宙や神の象徴・表現として秘術術的に絵柄と併せて解釈することにより、タロットリーディングに深みを与えることできます。


ただこれも両刃の剣で、深みが増す反面、カードの絵柄から出る解釈(象徴)と数そのものの持つ象徴とが統合できず、余計に混乱することにもなりかねません。


このことはソウルカードテクニックによって問題が顕著になることがあり、ソウルカードテクニック(技法)がうまく使いこなせない、理解に矛盾を抱えている人というケースも少なからず見てきました。


この問題については、私自身はある決着を見てますので、それは私の講座でお話しています。


さて、数の進みによってカードの意味も変わってくるという発想を持てば、ふたつの大きな示唆が得られます。


ひとつにはカモワン流などでも主張されている「大アルカナが人間完成の図を示す道程である」ということ、もうひとつは同じようなことなのですが、数の進行によって私たちの物の見方が拡大されるということです。


一言で言えば、「数が進めばより解放される」と言ってもよいでしょう。


ということで「世界」は最高度に到達した解放であり、完成となるわけです。


ただ現実的に適用するとすれば、「多様な見方を獲得した状態」と考えてもよいでしょう。多様な見方ができるということは、それだけ経験が豊富か思考が柔軟であるということになります。


よく「経験しなければ本当のところはわからない」と言われますが、それはまさにその通りだと思う反面、世の中のすべてのことを一人の人間が経験できるわけではありません。


従って、むしろ思考の柔軟性を得たほうが実際的だということになります。ただなかなか普段の考え方を変えたり、柔らかくしたりすることが「頭」だけではできにくいので、実の体験があったほうがよいと言われるのです。


たとえば「痛み」を考えろと言ってもわかりにくいですが、怪我をしたり、心が苦しかったりすれば「これが痛みだ」と悟ることができます。それゆえ、実際の体験は思考を変容させるのに極めて重要なのです。


また一人の人の体験は限界がありますから、自分がただ一人で考えているよりも、他人の経験を話してもらう、他人から伝授してもらうほうがよほど物事の理解が早まるでしょう。


このようにして私たちは多くの人・モノの中で、自動的にたくさんの経験を積む(積まされる)ようにできていると考えられます。


それは結局タロットでいえば「世界」に至る道であり、自分の物の見方を多様にするためにあると言ってもよいのではないでしょうか。

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