こだわりや囚われで苦しい時。
マルセイユタロットの「愚者」や「世界」が表すように、とらわれのない心や広くさまざまな価値観・世界観を認めることで、人はまさしく自由になってくると考えられます。
逆にいえば、何かにこだわりをもったり、狭いものの見方、認め方をしていると人は不自由になるということです。
とはいえ、何かにとらわれない人など、おそらくこの世にはいないでしょう。誰でもひとつやふたつの気がかりなことはあるものです。
ただそれがほかのことに影響を及ぼさない「思い」の程度なので、生活はできているのです。
けれども、たとえば誰かに片思いの恋をしたとか、仕事がうまく行かないとか、ある人との関係が悪いとかということになりますと、とたん、とらわれの心が大きくなり、時には日常生活さえスムースにできなくなってしまうことがあります。
こんな時、やはりその問題となっていることを解決しないと心が完全には晴れず、いわば自由にはなれないのですが、意外な対処方法もあります。
それはタロットから伝えられたものです。
一例を挙げると、恋愛問題で悩んでほかのこと手がつけられないとします。
ここで、悩んでいることのエネルギーや本質を見ようと視点を変えるのです。
上記でいえば恋愛ですから、要は「愛」の問題であり、その過不足につきつめることができます。
ということは愛の飢餓感を充足感に変えるか、そのアンバランスさがアンバランスと感じられないバランスの次元に意識を上げていくことが求められます。(大きなバランスの前では小さなアンバランスは取るに足らないことになるため)
ただ過不足を補うために、安易にほかのものでエネルギーを代用すると、それはごまかしに近いものになりますので、できれば次元を上げる解決を進めたほうがよいです。
先ほどの例でいえば、恋愛に苦しんでいるのならボランティアをして人類愛的な視点で行動するとか、自分に注がれているほかの大きな愛(小さな愛でも拾い集めれば総量として大きなものとなります)の発見を意図的にしてみるとかになります。
これは一見気休めのように思えます。
ところが本質あるいは同質のエネルギーとリンクしている大きなほかのものと遭遇すると、焦りや悩みの気持ちがうそのように消えたり、穏やかに導かれたりします。
地上のこだわりは天上のイデア(理想・崇高なもの)によって浄化されるという感覚でしょうか。
まあ、反対にこだわってこだわって、こだわり抜いてどうしようもなくなった時に天上意識に導かれるという体験や方法もあります。
いずれにしても、これらの方法はどれもタロットを意識したり、使ったりするとやりやすいのです。
なぜならば、タロット自体、天上と地上をつなぐ高度なすべての象徴体であると考えられるからです。
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