この前の皆既月食にて。
もう終わって数日経過していますが、この前は皆既月食でしたね。
最近はスピリチュアルな関心が増えてきたのか、月の満ち欠けや波動に敏感な方が多くなり、こうした天体イベントは今まで以上に話題になりますね。
ちょうどその翌日に、性のスピリチュリティ・神聖さを教説されていらっしゃる夏目祭子先生が私の住んでいる地元で講義をするということで参加してきたところですが、そこでの講座に参加された皆様のお話も、この皆既月食から女性性・母性に関わるお話が多く出ておりました。
皆さんのお話をお聴きしていますと、やはりタロットカードの「月」のことを私としてはイメージしてしまいます。
というより、自然に出てきたという感じです。
月のカードはマルセイユタロットでもわかりにくいカードの上位にランクされるものではありますが、一番シンプルな「感じ方」としてのリーディングが意外に忘れ去られているように思いました。
つまり言ってみれば命を育み産む母なるもの、子宮を象徴しているのですが、もっと単純にそれに抱かれるとこよなく安心できるものというイメージです。
隣には17の数を持つ「星」のカードがありますが、これも同じような母性・女性性の象徴とも言えるカードです。
この違いはいろいろと説明できるのですが、ここもシンプルに観たままのイメージをとらえると、「星」は受精して授かった命を育てている母親の気持ちとすれば、「月」はまさにその子宮に中にいる胎児そのものの感覚と言ってよいでしょう。
女性性・母性を外からとらえるか、内からとらえるかです。
ということは、女性にとってはまさに自分の女性性を観ましょう(に従う、思い出す)ということになりますし、男性にとっては普段のエネルギーや方向性・論理とは反対の、ゆだねるような、任せるような感覚を重視しましょうということになります。
それを出すのか内に貯めるのか、表現するのか感じる・味わうかの違いで「星」と「月」に分かれるとも考えられます。
ところで皆既月食ならではの面白い現象があります。それは月が隠れてしまって、逆に星が輝きを増すように見えるということです。
これをどう解釈するかは皆さん自身考えてみてください。マルセイユタロットでは、数の順番に並べると「星」の次に「月」が来て、「月」にある顔の視線は「星」を見ていることになります。
皆既月食ではさらに月が隠れたあとに再び月が普段以上の輝きを取り戻します。月の輝きも本来は太陽の光を受けているものです。
ここから死と再生、星、月、太陽のつながりを感じることができるでしょう。いわばそのままマルセイユタロットカードの数の並びになっているのです。
ところで、私はもうひとつ言いたいことがあります。
今回の皆既月食、スピリチュアルイベントとして楽しんだり、霊的な意味を見いだそうとされたりしたのもよいのですが、その前に、この時期が3.11からちょうど9ヶ月経過していたことを思い出しておくことも重要だったと感じます。
月での願望実現やスピリチュアル関心も悪いとはいいませんが、あれからもう、そしてまだ9ヶ月であり、その中で私たちはすでに忘れてしまっていることはないかを確認する意味で月(歳月です)を見たほうがいい場合もまだあると思うのです。
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