「節制」カードの救済を考える
マルセイユタロットには「節制」というカードがあります。
詳しくは述べませんが、この「節制」の大きな意味としては「救済」というものがあります。
いわば「節制」に描かれている人物は救済の天使だと言えます。
「天使」に実感やリアリティを持つ方は本当の「天使」としてとらえてもいいでしょうし、それが考えにくい方は現実の人間や事柄が天使的な役割、つまり「救済」事項に関係する実際のことと見立ててもよいでしょう。
後者のほうがスピリチュアリティを現実に反映させる思考としては適用しやすいかもしれせん。
この場合、「節制」の天使を人として考えることもできるのですが、細かく分析すれば、「節制」の天使の壺の水とその混交がまた「救済」する人たちを示していると解説できます。
つまり壺が私たちの一人一人の個性や特技であり、その混じり合い、交流によって人は人によって救われることが示されていると考えられるわけです。
誰もが一人で生きているのではありません。何十億もの人々がこの地球上に生きています。
そしておのおのが個性を持ち、何らかの「天使」としての存在価値があるとみなすこともできるのです。またそう考えることができるかということも問われていると言えましょう。
つまり「節制」のカードで表現すれば、「節制」の天使を人類全員ととらえることもできますし、「節制」の天使の持つ壺自体が、個人個人それぞれであると表現することも可能だということです。
逆にいえば、私たちは壺として混じり合い、助け合うことで世界全体を天使に変えていくことができ、それによって私たち個人も救われると同時に、地球全体も救済に導かれるというイメージを持つことさえできるのです。
一人一人としてはほんのわずかな力かもしれませんし、「私には何も能力はない」と思ってしまうかもしれませんが、自分が「節制」の天使の一部であると認識した時、隠れていた、あるいは気がついていなかった「個性」や「役割」が現出し始めるでしょう。
普通にただ働いていることだけでも、全体的視点を持つと、小さくとも社会や大きなものに貢献していると見ることができます。
何もない、大したことはできないと最初から考えるより、何かあるはず、小さくても私にできることはあると、「節制」をイメージしながら思考の順序を変えてみるとよいでしょう。
結局、私たちは人によって生かされ、生きているのです。
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