タロットカードの印象の多様さ。
マルセイユタロットの大アルカナを見ていますと、いわゆるニュアンス・雰囲気というものが最初に伝わってきます。
これは別にタロットのことを知らなくても、誰でも感じるものです。
たとえば恐そうとか、明るいとか鮮やかとか暗いとか・・・そんな感覚のものです。
この印象は実は結構大切なものです。ただそれがすべてではありません。
よく直感的にタロットを感じたらそれでOKとか、それが正解と言われることがありますが、それは必ずしもそうとは言えない部分があります。
人の感性はクリアーになっている場合と、いろいろと混ざっている時があり、それによってブレを伴うからです。
この場合、やはりタロットの象徴の知識やタロットと向き合う蓄積がものを言います。
言って見れぱタロットは右脳と左脳の統合に真の理解があると考えられるわけです。
それとは別に、タロットの絵柄を注意深く観察してみると、最初の印象とは異なった図柄や意味を発見することがあります。
これは言われないとなかなか難しい部分ではあるのですが、ひとたびそのことを知れば、単なる全体のイメージからだけではないタロットの複層した図柄の特徴に気付くことになるでしょう。
たとえば「隠者」は一見、その名の通り、暗くどこかに隠れている気難しそうな印象のある人物と写りますが、ある面では、とてもお茶目ともいえる楽しい人物像が浮かび上がるようにできています。
同様に「吊るし」も吊られているようで、最初の見た目には苦しそうに見えますが、よく見るとそうではないことがわかりますし、四方が囲まれて閉じこめられているようでいて、出口があることも注目すべき点です。
「13」においても、その人物は骨と皮で不毛の大地で死を迎えているように見えますが、生命の息吹はここかしこに見受けられるものです。
ほかにも楽しそうに見える「悪魔」に、ある部分では深刻な状態が刻まれるなど、カードはただの一印象に留まらないような工夫が一枚一枚に施されています。
このことは私たちに示唆を与えてくれます。
それは人間や事象も一面だけではないということです。
私たちは常に相反する要素や矛盾したものを抱えますが、そのことは取りも直さず、逆の要素や他の側面がいつもあるということです。
ということは、同じ状態がずっと続くのではなく、いつかは振り子が逆に傾くように反転していく可能性が高くなります。
そうならば、問題である今の状態も、最高と感じている現在の時も、やがては必ず変化を来たし、解決に向かうこともあれば問題化することもあるということになります。
結局のところ、多様と波という観点でタロットを見つめながら、私たちは人生をうまく泳げるように自分をコントロールしていく術を学ぶことでしょう。
そしてその波(海)は実体ある世間(物質的なもの)ではなく、自分が作り出しているということがタロットにも描かれていることなのです。
ですから波を統御することが自分にも可能なのです。
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