「神の家」に見る基礎作り。
「砂上の楼閣」という言葉があります。
基礎がしっかりしていないために壊れやすいもののたとえで使いますが、これはなかなか物事の真理をついているように思います。
マルセイユタロットでいえば「神の家」のイメージでしょうか。
何事も土台や基礎が固まっていないままに上を求めても、それは一時的なものでやがて崩れてしまいます。
何もこれは物理的なことだけではなく、精神的にも霊的にも言えることだと感じます。
私たちはこの情報のあふれる社会で、つい一足飛びで楽に結果の出るものを追い求めがちです。
情報が多いだけに、探せばきっとそういう秘薬や錬金術のような技術・知識があるはずだ、と思いこんでしまうわけです。
もしかするとそうしたものもあるのかもしれませんが、王道と言いますか、安全で着実な道というものは、やはり基礎から応用に向かうというステップになるでしょう。
再びタロットの「神の家」に登場してもらいましょう。
「神の家」はレンガ積みの構造の建物になっています。建物はよく見ると、一番下にはレンガが横に広がっています。(カモワン版では三段の白い石段もあります)
そのひとつひとつが努力のあと、蓄積されたものを象徴し、またレンガによって成される階層は次元やレベルを表すと考えられます。
自分のレベルが上がるということは、すべてにおいてその下位レベルの統合が取れていることを意味し、ひとつの部分だけ突出したから階段が上がるというわけではないのです。
たとえば知識があるからえらいわけでもなく、感が鋭くなったからといって霊的に向上しているとは限らないのです。
お金の扱いひとつとっても、自分の今の収入で収支のバランスを図り、お金をコントロールしていなければ、現在より大きな収入を扱うことはできません。
自分を大きく成長させたいと思えば思うほど、基礎はしっかりとさせるだけではなく、広くしていかなくてはなりません。
底辺の面積が広ければ広いほど、上に伸ばすことができ、高い建物を建設することができるというものです。
これが逆に狭い面積で軟弱な基礎をもって、上に巨大なものを載せようとしているのが現代の私たちの姿かもしれません。いわば頭でっかちでもあるのです。
こうした状態が砂上の楼閣のごとく、極めて不安定であるのは言うまでもありません。
マルセイユタロットの「神の家」は、頭上に大きな冠がかぶさってくる(戴冠する)という表現をしています。(崩れているのではないという解釈です) カードを見てもわかるように、巨大な冠です。
これを載せようというのですから、相当堅固で基礎がしっかりとしていないと無理な話です。
「神の家」は同時に、神のエネルギー(光)も受け入れますから、いわば非常に強い、電気的なショックにも形容されるような衝撃にも対応できるものを作り上げて行かなくてはならないのです。
特に精神世界に興味があり、自らの心や霊性を向上させようと思う人は、瞬間的にすべてが上昇するとは思わないことです。(ある技術によっては、一足飛びの上昇が可能であるようですが、やはり危険性があると言われています)
確かに瞑想などによって短時間の上昇はありますが、その維持が難しいのです。結局のところ、先述したように低次におけるすべての要素の統合と基礎の完成が相まって、次に進化していくと考えられるのです。
いびつな発展をした時は、欠陥工事の建物のように、必ずその課題部分が吹き出してきます。
自分に起こっていることを観察すれば、どこにまだ基礎工事を施さなくてなくてはならないのかが明確になるはずです。
自分はうまく(霊的に)成長していると思っていても、すぐ奢りが来てしまいますので、常に総合的な自分のチェック、特に基礎的なことは念入りに行っておくことだと思います。
そのため、「神の家」の隣(隣の数)には「悪魔」と「星」が控えているのです。
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