「恋人」カードの選択

マルセイユタロットには「恋人」というカードがありますが、これが高次に反映されれば「審判」になることもありますし、「悪魔」と「神の家」の両方になることもあります。


実はマルセイユタロットのカードは単体だけで意味を成すだけではなく、他のカードと関連して、新しい意味が出たり、一枚のカードでも次元や絵柄を変えて、ほかのカード(複数のこともあり)によって象徴されたりすることもあるのです。


この構造はカードの世界のことだけではなく、実際の私たちの住む世界の構造でもあるのですが、目に見えない領域部分も含むため、なかなかそのことに普段気がつくことがありません。私もタロットをしていて次第にわかってきたことです。


さて、最初にお話した「恋人」カードですが、このカードは真ん中の人物が両端の二人の人物にはさまれて、どらちを選んだらよいのか迷っているようにも見えます。さらに上空には天使のような存在が矢をつがえています。


このことから意味のひとつには、人間における「選択状況」を表していると考えられます。ただ一口に「選択」と言っても、私たちにはまさに様々な選択(状況)があります。


二者択一に悩むこともあれば、多くの中から一番よいものを選ぶことで迷うこともありますし、そもそも何を選んだらよいのかわからないといった時もあります。


そしてよくあることに、「悪魔の選択」と「神(天使)の選択」と呼ばれるものがあります。アニメやドラマなどで登場する「天使と悪魔の囁き」というやつです。


誰もが天使の選択をよしと思っているのですが、悪魔の誘惑によって、悪魔のほうも捨てがたい衝動に駆られます。


また時に天使の選択は自分にとってよいとわかっていても厳しいものであったり、悪魔は悪いと思っていても、その方が現実的に都合よく、とても選びやすいものであったりします。


それからこれが非常に怖ろしいことですが、天使と悪魔が入れ替わっていることがあります。


つまり巧妙な悪魔がまったく逆に見えるように幻想を見せているのです。自分が天使の選択と思っているものが悪魔の望むものであり、悪魔のものと考えていることが天使だっったりすることがあるのです。


たとえば自分では愛の選択だと思っているものが、実は執着の愛で、結局はエゴや悪魔の選択になっていることもあります。


しかしながら、やはりそれも真に自分の内なる声や神性に耳を傾けた時、入れ替えは見破られ、天使の選択は自ずと見えてきます。


天使と悪魔の選択が高次に現れると、それは「悪魔」と「神の家」の選択になってきます。


ただここで注意しなければならないのは、「悪魔」の選択は必ずしも悪いことではなく、必要な場合があるということです。いわば神の選択に到達するための試練や誘導ルートと言ってもいいでしょう。


このことは「恋人」カードにおいての選択でも同様で、正しいもの(天使や神)を選ぶことが求められているのではなく(究極的にはそうですが)、それ(天上や高次の道)に気がつくことそのものが大切なのです。


こうした時、選択は相当の苦しみをもたらすことがあります。「神の家」の選択ともなると強制的かつ衝撃をともなうことすらあります。


けれども真の天使や神の選択ができた時、あなたが思っても見なかった恩恵が悪魔の選択時での楽しさ・満足感以上にもたらされることになるのです。


それは結局神なるもの・天使なるもの(これはあくまで象徴表現であり、自身の高次存在、叡智や宇宙ととってもよいです)を信頼できるかに関わってくるわけです。本当に手放したくないものを手放せるかに等しい選択だと言ってもよいでしょう。


ただそれはあまりにも厳しいので、まずは「恋人」カードレベルからのもので選択の訓練をしていくこともありです。

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