制約ある人生の中で、あなたはどうするか。
人は亡くなる前に大きく後悔することが三つあると統計的に言われています。
ひとつは「伝えたいことが伝えられなかったこと」、そしてもうひとつは「行きたいところに行けなかったこと」で、最後は「やりたいことができなかったこと」です。
ということは、「伝えたいことは伝え」「行きたいところは行き」「やりたいことはやれば」よいわけです。(笑)
ところが、私たちは一人で自由に何でもしてよい環境に生きているわけではありません。
前述の後悔が亡くなる前に出るのも、生きている間にはいろいろなしがらみ、思い込み、制約、条件などがあり、行いたくても行えない事情があったからでしょう。
人生をただ起こるがままに任せていたら、生きている時に発生する、もしくは囲まれている諸条件によって、自分の欲求や願いをかなえさせることに自然にセーブがかかります。
極端なことを言えば、「人生は思うようにならないことが当たり前だ」と何事もあきらめの心境で過ごします。
しかしながら、人生や世界をひとつのゲームだとたとえれば、そういった制約や条件の中で、いかに自分の願いや欲求を叶えさせていくかが試されているフィールドだと考えることもできます。
ですから起こるがままに任せる(事柄・事件に反応するだけの)人生ではなく、知恵・情報を獲得しつつ、うまく立ち回って自分(の思い)を出したり、実現させたりするほうが賢明で楽しいとさえ言えます。
愚直にまじめに生きるといえば聞こえはいいですが、それはある面、せっかくの楽しみを自ら捨てているのと同じだといえます。ちなみに誠実に生きることと、すべてをうのみに信じてまじめに生きることとは違いますので注意してください。
さてこうした考え(賢く楽しく生きるとするもの)に立てば、たとえばどこかに旅行したり、出かけたりすることを計画する場合でも、ただ行きたいところへ行くというのでは人生ゲームを楽しんでいるとは言えません。
もちろん行きたいところへ行ける条件が整っている(予算・日程・体力など)場合はそれでOKです。
しかし、一例でいえばもうすぐGWですが、行きたいところがあったとしてもこの時期にわざわざ行くのはお金も余分にかかりますし、混雑も予想され、いろいろと効率が悪いと言えます。
そこで知恵や情報を使い、この時期でも効率よく行きたいところへ行って楽しめる方法はないかとか、GWでも混雑を避けられる「別の行きたいところ」はなかったかと検討し直すこともできるでしょう。
また、やはりこの時期をずらしたほうがより楽しめるとなって、それならば休暇を取る計画と仕事を調整しようと試みることもできます。
ほかにも、お金を増やすということをテーマにすれば、ただひとつの仕事を、雇われるだけでまじめにこなして給料をいただくという行動だけでは、なかなか増えないのは明白です。だからといって犯罪をすればこの世界のルールで逆に損です。負けなのです。
そこでまた知恵と情報を駆使して、負けではない別の方法を考えるわけです。
自分の欲求に従って、そのまま無計画・無自覚に衝動的に行動するのと、何も考えず、起こるに任せてコントロールされた意志のないロボット・奴隷のように生きるのは、もっとも人生で避けたい生き方です。
与えられたもの、条件・制約の中でも自分の欲求と意志をどうコントロールし、実現させていくかを考え行動していくことに、人生のひとつの楽しみがあると言えましょう。
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