自分の性格が嫌な人へ。

私は以前公務員をしていたほどなので、やはりどちらかといえば「まじめ」傾向にあると思います。


そういえば、ブログタイトルの説明文にも「まじめさ」と書いていましたね。(笑)


そんな私でも今はタロットの講師をしているので、一般的に言えば変わり者、仕事内容だけ聞くと「まじめ」とは言えないのかもしれません。


実際には私にもふまじめなところはたくさんあります。(^_^;)


そう、実はどんな人にも自分の中には多くの人格(性格)があり、そのうち比較的出やすい外面の性格性が「自分だ」と思い込んでいることがあります。


出やすい部分というのは、やはりもともとの生まれ持った気質ということもありますが、育った環境・成育歴によって培われたものも少なくありません。


たとえ生まれ持った気質だとしても、それをマイナス点に考えるのではなく、同時にプラスの面も考慮するとよいでしょう。


たとえばきまじめで慎重な人は、それだけきっちりしており、いい加減な人ではないということになりますし、細かいことは苦手でややだらしない人でも、くよくよしない楽天性を持つということになります。


こうした(性格のプラスマイナスを見る)ことはよく言われていますので、今更という感じもあるかと思います。


ただ、マルセイユタロットを学習すると、大アルカナの22枚の象徴があらゆるものに関連していること(実はその逆の発想のほうが大事なのですが)を知りますので、自分にも22人の人格が存在していることがわかるようになります。


ということは、いい加減に見える自分にも慎重な自分が潜在していますし、保守的な人間にも進取の気性に富んだ人が隠れていることになります。


それをカードで実感し、認識していくことができると、思わぬ自分の可能性が広がるのです。


つまりそれは、実のところ、一種の囚われからの解放になります。


囚われと言うと、つい思考・考えばかりにき気をとられますが、人間や性格としての自分の囚われもあるのです。これもつまるところは「思考の枠」であることに変わりはないのですが。


そして、私たちは「自分を変える」という表現をもって自分の変化・変容を目指しますが、タロット的には自分を変えるのではなく、自分を知る(思い出す)といったほうが正しいでしょう。


まじめな自分に自由奔放である自分がいることも認め、反対に型にはまるのが嫌いな人は、型の中でその自由性を発揮することの喜びを思い出すことになります。


これをカードで表せば、「正義」あるいは「吊るし」から「愚者」、「愚者」から「正義」・「吊るし」ということで語ることができるでしょう。


タロットの効果は単なるカードから出る言葉だけの意味ではありません。そこに象徴として存在する「目に見えない力」や「認識力」も含まれるのです。


それはたとえば、「タロットの霊」という存在が、あなたに完全さを思い出す手助けをしてくれるようなことです。


ですからタロットを使った自己変容というのは、ただ本で読んだり、人から言われたりすることとは質が異なってくるのです。


話を戻しますが、性格では自分の今ある気質というのも大切したほうがよいです。


人間には先述したように、タロットで言うと、一人の人の中に22の人格があると象徴できますが、ベースとなる存在がやはりあるのです。


ベースがないと、それこそコロコロと変わる多重人格者みたいになってしまいます。


あなたの生まれ持つ基本的な気質を「変えたい」と思って、足かせのように感じいる人もいるかもしれませんが、それを持って生まれたということは、逆に天命、宇宙や神の望みとして考えることもできます。


つまり、平たくいえば、あなたらしさは神(宇宙)が望んだ現実世界でのあなたの表現方法(神の分身)なのです。


「私はまじめでいけない」と思うのではなく、これが自分の個性、表現なのだと愛し、それを受け入れ、この特質をどう社会や人に貢献することができるのかと、得意分野・フィールドを探求することが重要です。


と、同時にベースの性格に振り回されたり、囚われたりしないよう、自分には違う性格もあるのだと発見し、認めていくことで、自分の真の解放につながっていきます。


一番悪いのは、自分のベースの性格を自己卑下し、悪いもののように捨て去ろうとすることです。


先にも書いたように、タロット観からすれば、変わるというのは新しいものに変化したり、古いものを捨てたりすることではありません。


別の自分を思い出す、認識するということです。以前の自分、過去のこともプロセスとして等しく価値を持つのです。


こうした考えでいると、自分が嫌でなくなり、無理矢理変えなくてもよいことがわかって楽になってきます。


特にまじめ傾向の人は、まじめだからこそ正しさにこだわり、時には正しくあろうとしすぎる自分の固さに嫌気を持つこともありますが、そのまじめさがまたすばらしいことであり、自分をいい加減なものから救ってきたことに感謝し、自分を愛することが大切となります。

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