これからの供養の問題
お盆の時期になりましたので、それに関連した内容を書きたいと思います。
最近、ある方と話をしていた時のことです。
その方の子供さん(すでに成人です)たちのお子様(当人からすればお孫さん)のうち、男の子がいらっしゃらなく、また親戚の方たちの御子息にも女の子のみで、男の子には恵まれないと嘆いておられました。
その話をお聞きしていますと、私自身の親族にも言えることであると気づいて愕然としました。
これはたまたまその方や私に当てはまることで、一般的には男の子が生まれるのが極端に少ないというわけではないと思います。
ただこの時に私が感じたことがありました。
性を決定しているのは生物学的にはX,Y染色体です(厳密にはそうではない場合もあるらしいですが)。
このうちY染色体が男性特有のものなのですが、この染色体は男性にのみ存在するため変化に弱く、生殖遺伝を繰り返していくうちに劣化すると考えられています。
以前ある番組で、小さく劣化していくヒトのY染色体は、すなわち男性の誕生にも影響を及ぼし、生まれても個体として弱い人間(情報がきちんと伝わっていない遺伝子によるので)になることが懸念されていました。
近頃の草食系男子と呼ばれる男性の軟弱化も、もしかするとこうしたことが関係しているのかもしれません。
さらに問題なのは、劣化が進むと、ついにはY染色体が消失してしまうのではないかとも言われています。そうなるとXX型の組み合わせばかりとなり、女性しか生まれないことになります。
ただ、生物にはY染色体を消失しても雌雄のあるものも存在するらしいので、神視点からすれば、人類の新たな形に進化して行っているのかもしれません。
さて何が言いたいのかと申しますと、実は先祖供養の話なのです。
だいたい日本社会では、男系家系でご先祖の供養を行ってきています。つまりは苗字の家系ですね。
それを実際に行うのは、その家を継いだ男子です。もちろん女子がお婿さんをもらって、別の男子が家に入って祀る場合もありますが、いずれにしても男子の責任と役割でした。
それがもし男性が生まれにくい世の中になればどうなるのでしょうか?
男性が少なくなれば女性がペアとしては余る形となりますので、女性の姉妹が生家の先祖供養を行うようになるのかもしれませんね。
また生殖としては、現状の人間機能のままで続くのなら、一夫多妻制にせざるを得なくなってきます。すると、さらに優秀な男性が求められるようになりますね。
人類の存亡がどうなるのかという問題もありますが、先祖を供養していく(それは死んだ自分が供養されていくことと同じです)ためには、もはや個々の家対応では難しい時代になってきていると言えるのではないでしょうか。
あまつさえ、無縁社会、孤独死などと叫ばれ、晩婚化で少子化も進む時代です。
「供養など関係ない。死ねばみな土になるだけ」と考えていらっしゃる人もいるかもしれませんが、目に見えない世界では、供養の行為は計り知れないものがあると想定されています。
確かに死んでみないと何もわかりませんし、科学的に証明できるものではありませんが、亡くなった人を想い、供養するという精神的・儀式的行為は、生きている人へも亡くなった方へも双方に何らかの影響を及ぼすものではないかと想像できます。
仮に供養に意味がないとしても、人の死を考える、自分の死と向き合うということでも、人が亡くなったあとのことを思うのは、決して悪いわけではないと考えられます。
私は、これからは社会や国家レベルで供養を考えていく必要性があるのではないかと考えています。それは言い方を変えれば、自分と血縁的には関係のない他人を祀る行為をそれぞれが行うということです。
そうすると、そこにまた供養縁とでもいうべき新たな縁・関係が生じます。少なくとも、他人事という感覚が薄くなり、他人を意識する、気遣うということが増えるような気がします。
霊的にも全員で全員を祀る・供養するような感じですので、大きな力が生じるように思われます。目に見えない世界でのつながりが深まれば、現実の目に見える世界でも、「絆」が強固になっていく相互作用が生じるでしょう。
こうして一個人、一家庭の供養問題から日本人全体の目線へと移していくことができ、それが個と全体の再生につながっていくものと想像できます。
まさにそれは、実はマルセイユタロットに描かれていることでもあるのですね。
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