「運命の輪」から見る「運命」
占いなどでは、人には「運命」があると考えられています。
タロットカードにも、一般的に「運命の輪」という名前がついているカードがあります。
運命というものは、まさにくるくる回っているように感じられるので、「輪」として絵が象徴的に描かれていますし、たとえばマルセイユタロットならば、その輪の中に犬と猿といった二匹の動物も登場します。
かように運命というものは、流動的で、人間というより動物的でもあると古来からとらえられていたのでしょう。
一方、人によっては、自分の人生は自分で好きなように作っていくことができるのだという信奉もあります。
これは運命という不可思議なものにふりまわされず、人は自由に生きていくことが可能であるという、人間中心的な立場となります。
見方を変えれば、運命というものは外側にあるか、内側にあるかという二つの視点があると言えます。
私は実はこれは両方ではないかと考えています。しかし最終的には内も外もないということだとも見ています。
いったい何を言っているのかわかりづらいと思いますが、運命(の輪)は外で回っているようでいて、実は内でも回っています。
しかし、では人が影響を受けるような「外側の運命」というものはないのかといえば、そうとも言えますし、あるとも言えます。
言い換えれば、ある段階では確実に(外側の運命は)やはり存在しており、それに支配されたり、影響を受けたりすることはあります。
ところが、さらに段階が進むと、今度は外の影響が少なくなり(しかし微妙に残っている)、内に「運命」の関心が向いていきます。
そうなると実は自分こそが、外側と思える(自分の)運命を作り出しているのではないかと気付いてくるのです。
けれどもこの段階でも、やはり外側の運命の影響から逃れることはできません。
さらに高次へと到達すると(このあたりは想像の世界での話になります)、おそらく外側の運命という概念は消え、すべて内側であることが実感できるのでしょう。
その時こそ、運命の輪から本当の意味で逃れることができるのだと推測されます。
ですから、普通の場合、やはり占いなどで言われる運命や運勢の波のようなものはあると言えます。(本当はないのですが、あると感じ、影響を受ける段階にあるということ)
究極的にはすべては自分の思いで人生を創造することは可能でしょうが、現実的には、たいていの人は外側の運命によって、自分が支配されることにもなりがちです。
とはいえ、最後はすべて内側(自分)にあるのですから、内に探究が向かう時、自分の「運命の輪」も外側から内に入る(内なる輪を見つけていく)ことになります。
そうして、自分の内なる「運命の輪」と外側の「運命の輪」の照応を少しずつでも実感し、合一させていくと、自分のコントロールによって外側の「運命の輪」を動かす(作用させる)ことが可能になってきます。
もちろんすべてということは難しいのですが、それでも確実に、自分の意志で自分の運命を変えていく(ように見える)ことができ始めます。
これがマルセイユタロットの「運命の輪」の力と効果なのです。
私の言っていることは、想像やイメージの話のように思えるかもしれませんが、しかしかなり実際的ものです。絵空事や夢物語ではないのです。現実に効果があります。
タロットは確実に自分(人)の人生を変える力があります。
それはタロットをよく理解し、作用とエネルギーを自分に還元しはじめた時に、自分の周囲の世界も動いていくからなのです。
コメントを残す