「悟り」を考える
マルセイユタロットの教えの(目的の)究極には、「悟り」を得るということがあります。
しかし、一口に悟りと言っても、これはなかなか実際的には難しいものです。
そもそも悟りとはどのような状態を示すのかさえ、悟ったと言われる人が表立って出てくることがないため、うまく説明してくれる人もなく、我々凡人にはわからないものです。
もしかすると、悟った人など、実はいないのかもしれないという思いすら起こります。
ブッダとかイエスとかいらっしゃるじゃないかと言われる方もあるでしょうが、かなりの昔のことなので、実際にはどういう状態であったのかは今では誰にもわからないというのが真実でしょう。
ということで、悟りといったものの定義をすることは難しいわけですが、逆に低次ともいえる小さな悟りというものを考えることはできそうな気がします。
それはいわば、「気づき」とか「自覚」とか「覚醒」とかいった言葉で表していいかもしれません。
実は、私が最近思うのは、人は皆、一瞬一瞬かもしれませんが、小さな悟り体験はしているのではないかということです。
そしてその積み重ねやレベルの違いによって、悟りそのものの次元も変わってくるような印象があります。
とにかく、「小悟り」みたいなことは、誰しも経験しているのだということです。
それは、たとえば散歩していて、ある日、突然「こうだ!」「そういうことだったのね!」と気付いたり、旅先の景色を見て、「ああ、なんて世界は美しいんだろう」と感嘆したり、大きな仕事を成し遂げ、感謝と成長を心から実感したり、恋愛をして異性との限りない融合感を体感したり・・・様々な人生のシーンで起こることではないかと考えられます。
問題はまたすぐに、元の状態に戻ってしまって、体験したことを忘れ、日常に感覚的にも埋没してしまうということですが、それでも、その気づきや覚醒が、これまでの自分とは違うレベルに自分を押し上げることになるのではと想像されます。
ただ、やはり「忘れてしまう」ということが引っかかることではあります。人間はとても忘れやすい生き物なのですね。
そこで、マルセイユタロットを活用することをお勧めします。
マルセイユタロットは、特に22枚の大アルカナが人々の意識や世界のあらゆる物事を象徴しており、しかもレベルや次元の相違としても表現しているため、自分の「小悟り」的な気づきや体感を、カードに記憶しておくことができます。
そして逆に、カードから気づきを起こすこともできます。
それは絵柄が極めて元型的ともいえる象徴で構成されているため、あらゆることにカードが合致し、表現を確かめることができるからです。
たとえば、簡単にいえば、今の自分の気持ちや感情を、あるカードが表していることを感じられるという具合です。
つまりは絵柄として、目に見えないものを目に見えるものとして確認することができるようになるということです。
しかも段階やレベルまで整理されて象徴となっているので、悟り具合のレベルや次元も確認することができます。また目標や指標とすることもできるのです。
私も最初はマルセイユタロットが悟りのツールであるということは、具体的にはわかりにくかったのですが、今は段々とそれが明確になってきました。
もちろん一番最初に言いましたように、真の悟りというものは誰にも私にもわかりませんし、それが何なのかも難しいことですが、気づきや覚醒、解放といったことでは、「小悟り」みたいなことは確認でき、それをカードによってさらに強化したり、発見したりすることは容易なのです。
それは結局、「小悟り」を繰り返しながら、「中悟り」「大悟り」へと進化していくことでもあるでしょうが、究極的な「悟り」はどんな状態なのかは不明です。
しかしながら、自分の心の成長や発展、それに伴う現実のいい意味での変化を体験していくことができるということは確実に言えると思います。
何かわからない「悟り」という実現不可能に思えるものを目標にすることであっても、目的が壮大で崇高であればあるほど、自分を謙虚に保つこともでき、成長の楽しみもあるというものです。
重要なのは、プロセスを楽しむ心だと私は思っています。
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