直感と理性の対立は、実は低次のものに起きる。
一般に直感と理性(論理・思考)は一致せず、対立することが多いと言われます。
しかし本当の意味では対立するものというより、それぞれ本質を別の見方でとらえる方法であると私は考えています。
実は対立してしまうのは、深いところでの直感や理性が相争っているのではなく、もっと低次での直感と理性であるからこそ、葛藤が起きるのだとも言えます。
低次の直感と理性とは、わかりやすくいえば、前者(低次の直感)が「好き・嫌い」の感覚、後者(低次の理性)が「損・得」の判断に基づいていると考えられるものです。それを本物の直感と理性だと誤解してしまっているのですね。
たとえば、旅行先を決める時、自分としては温泉のある旅館に泊まってのんびりとしたいと思っている(それが好きだと今は感じている)のに、いざ検討を始めると、安いツアーやお得感のある宿泊先のプランなどを見てしまい、結局旅館ではなくホテルになったり、ゆっくりするどころか、有名所を駆け足で回ったりするものを選ぼうとしたりします。
こうなってしまうのも、最初の感情とは違う、「お得感」という損得による線引きで見る視点を入れるからです。
ほかにもこの逆のパターンもあり、明らかにこれは自分にとって得だなと計算できるものがある(損得を考えるのは悪いことではありません)のに、「あの人が参加するから嫌だ」とか言って、せっかくのチャンスである講座を受けないといった人もいるでしょう。
結局のところ、「好き嫌い」と「損得」を比べている限り、もともとふたつは観念と概念の違いとも言える、かなり異なったものですから、なかなか一致させることは難しいと言え、そのレベルでいる限り、いつも対立や葛藤が起きてしまうことになります。
ではどうすればいいのかと言えば、まずこれら両者は平行線のまま交わらなくてもよいと考えることです。何でも一致させたり、融合させたりすることが解決策ではないのです。
好き嫌いと損得は一致しないことがあるのが当然だと思うのです。「偶然重なればラッキー!」的なのものと認識していると楽になります。
ですから、選択の結果として、完全満足といのを目指すのではなく、どこか一部犠牲があったり、不満があってもよいと割り切ります。優先順位を「好き」の感覚にするのか、「お得」にするのかをはっきりさせてもよいでしょう。
※実はこの両者はつまるところ、「感情」に基づいていることがほとんどです。その意味では理性との葛藤とは言えないのです。そこが低次とし呼ぶゆえんでもあります。従って一番感情的には譲れないところを選択として決めるという態度が、このような対立では有効です。※
次に直感と理性をそれぞれ、好き嫌いと損得から離れるようにしていきます。
「自分はもしかして、これを好き嫌いで選んでいるのじゃない?」「損得って言っても、広い視点や長い目で見れば、本当に損得と言えるのしから・・・」と自分の選択の感覚や基準を疑っていることからそれは始まります。
おそらく真の直感、深い智慧の理性というものに到達するには、まず日常の自分意識を疑うことからが出発点だと考えられます。
特に直感は「信じることから始める」「信じることが大切」と巷では強調されていることが多いので、私の言っていることは非常に逆説的でもありますが、それが反対に直感に至る近道だと、タロットも述べています。
そうすると、理性も決して直感を邪魔するものではなく、むしろそれに至るための正しいサポート役であることがわかってきます。
そして直感も理性をぼやかせるものではなく、理性に確信(心・魂)をもたらせるものであることも気が付いてきます。
そうすると、両者は結局のところ、直観という、物事の本質を悟ったり、得たりするための車の両輪だということに得心がいきます。
マルセイユタロットの活用のひとつは、その直観に至るプロセスを導き、強化することでもあるのです。
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