マルセイユタロットの役割
私がお伝えするタロットリーディングの基本に、「相談者(クライアント)が答えを知っており、それを自らが発見・選択する」というものがあります。
タロットリーダーはそのお手伝いをするめに過ぎない存在です。(けれども、タロットの知識と象徴を知らなければ、お手伝いはできません。カードの「節制」の「段階」を見ることです)
これはマルセイユタロットには、その根底に、人は神性(神なる性質、完全性)を持つというグノーシス的教えが込められているからです。
人には人間性、あるいは動物性とも呼べる部分と高次の霊性をともなう神性的部分とが共存しているとも言えます。
残念ながら、普段はたいていその人間的・動物的部分で動かされているところがあります。さらには他人や自然界からの働きかけによる、ある種のエネルギー反応に同調して、知らず知らずの行動をとらされていることもあります。
いわば、人は神性という純粋で完全なものをもちながら、いつも妨害電波に悩まされているようなものと表現できます。
ただ、いつもいつも完璧で正しい判断ができる状態を想像すると、それは果たして楽しいことなのだろうか? クリエティブ(創造的)だといえるのだろうか?という疑問が起こってきます。
いつもいつもクリアーだということは、まったく動きが無く停止した「無」に近いものが感じられることになり、そこに新しい動きや創造性を見ることは難しいように思います。
そこで神なる存在は、私たちにいろいろなハンデイをつけることにより、その制限の中から新しいものを生じさせるアイデアや行動力を見ることにしたのでしょう。
ゲームをイメージすればわかりやすいです。最初から完全無欠のプレーヤー設定していては、ゲームが面白いはずがありません。
特にパーティを組んでイベントを経験していくようなゲーム(ロールプレイングゲーム)は、非常に人生に似ていると言えます。
パーテイを組むというのも、それぞれの欠点をそれぞれの得意分野で補い合うことにより、チームとして完全に近づこうとする行為です。助け合いや教え合いという人間社会の縮図を見ることができます。
また起こるイベントは、あるルールや前提条件で発生し、それを経験することで全員は成長します。これは一人のこともあれば、チーム全員のこともあります。
ともかくも、人は制限の中で実は創造性が発揮されることになり、そうした状況に置かれて何か考えや行動を起こすことにより、ひらめき・感動・覚醒(神性との邂逅・接触)が生じます。
つまりは、何もないところに、神性とのつながりを感じることは難しいようにできているのです。
こうして見ると、私たち一人一人、そして地域や国、全体として起こることも、それぞれの規模において成長・発展させるためのイベントであると考えることができます。
そしてあなたの周囲にいる人たち、家族、友人、仕事や社会、地域社会で関係している人、偶然旅先などで出会う人・・・皆相互にイベント要因、助け合い要員として存在していることがわかります。
ということは、一人は誰かのためにあり、誰かはあなたのためにある(いる)ことになります。
すると究極的にはあなた個人、あなたの魂の中の神性を目覚めさせること、認識することに回答があり、あなたが目覚めれば周りの人も目覚める仕組みにあると考えられるのです。
おそらくマルセイユタロットはそのために作成されている(残されている)と、私は今、思っているところです。
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