「正義」の悩みの解消法
まじめな人ほど「正しいこと」つまり、「正義」にこだわります。
正しいことを追い求める態度はもちろん悪いことではなく、むしろ清々しい気分にさえなります。
ただ、やはり何事もバランスと程度が大切であり、行きすぎると問題が生じます。
正義にこだわることで、もっともシビアな問題となるのが、同時に自分が「不正義」「正しくないこと」を生み出してしまうことです。
ある事柄や人を、自分が正しいと思う瞬間、反対の「正しくないモノ・人」という概念と範疇も生じさせます。
それは中立でニュートラルなひとつのもの(出来事)を、白黒という線引きで分けることでもあります。
そうしますと、反対のものが存在することが常に気になり、時にはそれを正そうと(自分の色にしようと)必死になります。それが他者・他の考え方への批判にもつながります。
さらにまずいのは、結局いくら頑張っても、ふたつに自分が分けている限り、統一はとれませんから、そうできない自分自身を責め、自分の中で不統合状態を生みだし、その波長で現実も不統合や不調和と思える事態を引き寄せます。これは不幸なことです。
ということで、精神世界や心理の世界では、正しいことにこだわることをやめたほうがよいとか、正しいモノなど本来ないとか、ジャッジする態度をなるべく控えましょうというようなことが言われます。
とはいえ、これまた面白いと言いますか、不思議なもので、人は正しいもの・正しいことがないと判断に迷う性質も持ちます。
ここに矛盾に生じてしまうのですね。
この解決にはマルセイユタロットが役に立ちます。
まず、マルセイユタロットが全体の構造と細部の意味でもって、矛盾の統合というテーマを示していることがあります。
それから個別のカードで見ても、まさに「正義」という名前がついているカードがあり、ある並べ方と規則に従えば、「悪魔」と関連したり、「月」と関係したりするようになります。
これら、複数のカードの関連性を見ることによって、正義の問題を和らげたり、解決の糸口を発見できたりします。
それから「選択」ということを象徴するカードで、「恋人」というカードがありますが、これと「正義」のカードを並べれば、面白い示唆が得られます。
それをご紹介すると、「正しいことを選ぶ」のではなく、「選んでいることが正しい」と思えばよいということが出ます。
つまり、とりあえず、「現時点では、『この考え方』を正しいと私は選んでいますよ」と考えればいいというわけです。いわば、現状の自分の基準や行動指針は、こう設定選択していますよ、というような感じです。
そのこと自体が正しいか正しくないかではなく、ある考え方や人物の思想・行動を、今は自分としては正しいものとして選択しているのだという意味です。
現時点で、ということですから、将来的には変わる必要もあるということがポイントです。
この考えに立つと、人それぞれ、いろいろな考え方があると認めつつ、自分がある事柄を、その時点では「正しいもの」として選ぶことができるという、自分にも相手にも自由意志を尊重していることになります。
さらに「昔はこう信じていたけれど、今はこれを正しいと選択している」と、臨機応変に変えていくことも可能ですし、変えること自体に裏切り感も責めもなくなります。
大事なのは、「選択している」「選択する」という自覚で、また選択するためには、たくさんの「正しさ見本市」(笑)のような、バラエティあふれる多くの考え方の存在を認めたほうがよくなります。
存在を認めるのであって、ひとつひとつを正しいか正しくないかとして判定していくのではありません。それをすると、途方もない苦労が生じます。
「正しさカタログ」を見ながら、楽しく、自分が今の時点で思う「正しいこと」を選択してみてください。
そして「正しさ」とはそんな程度のものなのだと思うと、特に堅い人やまじめな人は、生き方も楽になります。
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