中途半端、不透明さ状態の意味を見る。
何事もきっちりと行うこと、完了すること、はっきりさせること・・というものが世間で正しい道のように言われます。
もちろんそういうこともあるでしょうし、中途半端や不透明なままでは問題の場合があるのも事実です。
けれども、すべてがそうでならなくてはならないということではありません。
考えてもみてください。すべては白黒と明瞭に分かれていることばかりでしょうか?
いえ、むしろ仕事も恋も、天気も景気も、そして人生さえも、いろいろなものが混ざり合った状態というのが真実に近いのではないでしょうか?
「いろいろ」と表現したように、このことは「色」で考えてみるとわかりやすいです。
両極を白と黒にして、その間をグラデーションのように、少しずつ片方の極の色に変えていくよう変化させます。そのような横棒グラフをイメージしてもいいでしょう。
そうすると、間の色は、その微妙さ加減によって膨大な数の「色」が現れることがわかるでしょう。
たとえ一瞬に白から黒に変化したように見えても、実はその間には別の色があり、それを通って変わったのです。
そのスピードの違いか、色の段階の数の違いによって変化の進行も変わります。
間の色を多く設定すれば、それだけ隣に移る距離は短くなり、つまりは楽に移行できるということになります。
反対に間の色の数を少なくすれば、一見移行は速くなるように思えますが、距離が増えるので(ひとつひとつの色の枠組が大きくなる)、その分遠く難しくなります。
ですが、進むスピードさえ上がれば一足飛びのような感じで、隣の色へと移ることができます。いわば極端な変化です。
ここからわかるのは、安全な変化とはステップを細かくわけたものであり、急激な変化はその逆の、高い目標・遠い目標にスピードを上げてチャレンジするということになります。
そして、大切なのは、移行中はどの場所にあってもまだ完全な極の色にはなっておらず、どちらかの色を何%か含むということなのです。
見方を変えればそれは中途半端であり、不透明です。
また反対の要素を割合の違いとはいえ持っているのですから、途中段階では反発することもあれば、理解することも可能だということになります。(どちらかに完全に決まっているのではないので、戻ることも行くことも可能な、柔軟性の状態だとも言えます)
マルセイユタロットで「悪魔」や「月」、「隠者」等が出れば、この移行中での混じり合った段階として、完全ではない状態を意識的に選択する、もくしは許す(移行中であることを理解する)ことを示唆している場合があります。
どんな状況でも、一瞬で切り替わるということはなく、その一瞬の中にもさらに細かく分析すれば、爆発していたり、離脱しようとしていたり、外部から何かが当たっていたり・・と必ず何かの変化・変容過程を経ているはずなのです。
「一瞬の変化」というものは、あまりにも速すぎて、私たちにはそれがわからないだけです。
高次になればなるほど、周波数・波動・振動数と呼ぶべきものは上がります。
すると、物事の変化のスピードも上がり、それより低次のものではとらえられない変化に見えます。
その開きが大きいと、低次からすれば「一瞬」に感じるということもありうるでしょう。
少年漫画で「ジョジョの奇妙な冒険」という作品がありますが、その特殊能力者に時間を操作する能力というものが設定されていました。能力者によって時間が止められるのです。
おそらく厳密にいえば時間を止めるのではなく、通常の人間の時間感覚を超えた超越スピード(漫画では「そんなもの(超スピードとか)ではない!」と叫ばれていますが(^_^;))だと考えることができます。つまり時間感覚の次元変化です。
超スピードで動く者の行動は、もっと遅い時間感覚で動く者には「奇跡」としか思えない動きだということになります。
神(高次存在)は通常の次元を超えたスピードの周波数だとすれば、「奇跡」の理由も何となくわかってきます。
私たちも自分が成長し、少しでも高次になって行けば、それだけ時間感覚も変わって行きます。
また、自分が何かの目的達成・完成に向けての中途段階であることを意識しても、それを楽しむことができるのです。
それは自分の次元上がったためにスピード化して、不透明な状態が長くは続かないことがわかるようになるためです。
電車での移動に例えれば、到着駅までの道のりが、普通電車では時間も長く、人もいちいち乗り降りが激しくて不安やイライラすることがあっても、特急や新幹線ではスピードも速く席もゆったりしているので、優雅に楽しんで速く駅まで着くことができるという感じです。
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