数とタロットの関係を考えるアプローチ。

数とタロットについては、ここでも何度かふれてきました。

改めて私の考え方を言えば、数とタロットは厳密には無関係であると言うこともできますし、やはり密接に関連すると話すこともできます。

これではいったいどちらなのか?と問われるでしょうが、実は「物事とタロットとの関係」というものは、すべてそのようなものだと、タロットをずっと扱ってきてわかってきました。

よくこのブログ記事でも登場する「禅問答」みたいなことであり、「一面では矛盾しているももの、全体的には統合している」というのが、タロットを通して見た世界であり、また逆に世界をタロットに還元した表現となります。

ただこれではやはり何を言っているのか、わかりづらいですよね。

ということで、もう一度「数とタロット」、このふたつを別の観点で考察してみたいと思います。

まず、多くの人が誤解していることに、「数はすべて同じだ」というものがあります。たとえば電話番号も、日付に現れる数も、皆「同じ“数”にほかならない」と普通は思っています。

ところが、「数」は根源的には確かに同じなのですが、私から見れば、電話番号の数と日付の数は性格や質がそれぞれ異なると感じます。

ちょっと難しいかもしれませんが、たとえるならば、あなたが会社にいる時と家庭にいる場合とでは、確かにあなたはあなたなのですが、その時々で人が違うと言えばよいでしょうか。

ですから、タロットにおける数も、一般的な数秘術等で語られるイメージの数とは異なってくることもあるのです。

言わば、タロットにはタロットなりの数(表現と個性)があるというわけです。

とはいえ、「1」をイメージした時に、中途半端な感じではなく、始まりや新しさ、最初というような感じが誰しもが抱くように、やはりその数の持つ元型的な象徴の意味はあると考えられます。

私たちが混乱するのは、この数の持つ元型的イメージと、それぞれのフィールドで個性的に表現される数の印象とが食い違っている時に起こると考えられます。

タロットの場合は、22枚や78枚で個別と全体性を表現するシステムですので、うまく数の整合性を合わせる分類化をしないと、イメージの錯綜によって数とタロットとの統合がとれなくなってきます。

ですから、あまりに厳密に数秘術的思考とイメージでタロット一枚一枚を解釈しようとすると、わかりづらくなるのも当たり前なのです。

ではどうすればよいのかですが、これにはふたつの方法があります。

ひとつは数の根源的・元型的イメージをつかむ努力をすること。

それは感覚だけではなく、幾何学的な理論も必要です。こうすれば、フィールドの違いによって現れる数の個性との区別がつき、きちんと自分の中で数を再統合することが可能になります。

もうひとつの方法は、個別に(フィールドの違いで)割り切る(まったく別ものと考える)ことです。

数秘術と無理に結びつけず、タロットはタロットの絵柄で、タロットなりの数の意味をくみ取るという方法になります。

前者(数の根源をつかむ)はやや難しく、時間がかかります。しかし理解ができれば、どんな場合にも応用が可能なばかりか、タロットなどのツールがなくても、数だけで宇宙を知ることも究極的にはあり得ます。

後者(それぞれで割り切って数を見るやり方)は簡単に理解できる反面、最初から数を個別に区別するので、真の数の探究(数の表す真理を認識すること)からは、ずれていくことになります。

また後者の方法から入り、前者に転じて数を探究する道もないわけではありません。実はタロットにおいては、こうした道が用意されています。

生年月日などを計算して出た数と、その数を持つタロットカードと自分との関係を見る方法は、この道のひとつです。

しかし、たいていは性格分析のように扱われ(それも有効な使い方です)、あまり深くは説明されないので、後者の方法(タロットにおける数を見る)だけに留まったり、根源的な数の意味とタロットの絵柄のイメージとが合わずに、混乱したままになる人が出ます。

タロットから数を知るか、数から入ってタロットを知るかは実は同じことで、ひとつの山の頂上に登るための別のルートに過ぎないのです。

そして数を知ることもタロットを知ることも、それはゴールではなく、真理に到達するための極めて有用な道具を手に入れたという意味になるのです。

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