「自分探し」から「自分出し」へ。

この前、ある人と話していますと、面白い言葉が出てきました。

それは「自分出し」という言葉です。

実はその方は、誰もが行うように、昔はよく「自分探し」をしていらっしゃったようなのです。

しかし、次第に今は、自分らしさを出す、まさに「自分出し」ということに集中されているようです。

ひと頃、いや今でも流行っているのかもしれませんが、「自分探し」をしている人は少なくありません。

これには私は否定も肯定もしません。いや、むしろどちらかと言えば、今は肯定派でしょうか。

それは私自身も「自分を探してきた」経緯があるからです。自分が見つかったのかどうかと言えば、「見つける見つからない、その観点から脱却した」ということが、「見つけた宝物」かもしれません。

ですから、いずれにしろ、「探す」というのはプロセスとして大切だと感じています。

ところで、「自分探し」には否定的な人もいます。

曰く、「自分など探しても見つからない」 あるいは、「自分はそもそも探すものではなく、自分であることを認めることである」など・・です。あ、ちなみに後者の言葉は、今私が作りましたが(笑)、似たようなことを述べている方もいますよね。

そう、私も実は否定派になることもあったのです。このように、人はいろいろとその時その時の感じ方で変わることがあるものです。

そして、自分探し否定派の人も肯定派の人も、つまるところ、「自分」というものをテーマにしているということでは同じであり、見方が異なるだけなのだと気がつきます。

だからこそ、「自分出し」という発想も面白いのです。

自分探しをして、自分を発見するのもいいでしょうし、見つからなければそれもよいのです。

あなたは実は単一ではなく、たくさんの人格・パターンで形成されているものであり、見つけても見つけても、また出てくる可能性もあるのです。

自分らしさというものは、もしかすると、ずっとわからないものかもしれません。

ただ、言えるのは、素直に自分を出してみることにチャレンジするのも、また楽しいことではないかということです。

本当の自分は何のなのかとつきつめる必要はなく、その時その時のフィーリング・周囲や社会的常識などで縛られない、有りのままの感じを出せる時に出してみる、そういう取り組み方でよいのではないかと思います。

それには、最初に出た人も述べていましたが、環境や出す(出せる)相手も大切です。

自分が素直に気持ちを表現できる友人やパートナーがいればいいわけですし、そういう人がいない場合でも、気持ちが落ち着いたり、偽りではない素の自分がよく出せたりする好きな場所に行けばよいでしょう。

また環境や人に頼るのではなく、自分の心のとらわれをばすしていくワーク、考え方を採り入れるなどもひとつの方法です。これは内から「自分を出しやすくする」やり方ですね。タロット学習もその一助になるでしょう。

自分探しが一段落ついたら、今度は自分(らしさ、自分の気持ち)を出す、「自分出し」に挑戦してみましょう。

あ、一言追加しておきますと、「自分出し」にはパートナーのいる「恋愛」が一番効果が高いように感じるでしょうが、これも両刃の剣で、相手に気に入られようと自分を変えての「自分出し」は「自分出し」とは言えず、「自分縛り」ですからご注意を。

ともに気持ちよく、素直になれる関係がよいのです。(恋愛初期は誰でもお互いをよく見過ぎの傾向にあり、素直になれる「気がしている」ので、それも注意です。真実は自分たちに、タロットで言う「運命の輪」の回転とともに教えてくれます)

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