仕事と遊びの交換。

仕事はつらいもの・厳しいもの、というのがほとんどの、特に日本人にとって思うことでしょう。

ただ、これはかなり思い込みというか、もはや一種の宗教教義のようになって、私たちが信じ込まされているものと言うこともできます。

なぜなら、そう思っていない人たちもたくさん存在しますし、仕事は逆に面白く、楽なものとして感じている人も少なくないからです。

さらには、「つらいことを経験しないと収穫が得られない」というひとつのパターンが、多くの人にあるとも言えます。真実は何かを追求していくと、労働の峻厳さは幻想かもしれません。

また仕事は厳しいものと思っている人でも、何かノルマや目標、イベントを達成した時の充実感や、自分か職場・社会に貢献していることを感じた瞬間、現実に給料・収入が上がったことの満足感等で、楽しさ・喜びを味わったことはあるでしょう。

このように、物事には必ず表裏があり、どちらか一方のみという状態はあり得ないです。

もっと言いますと、どちらかに決めているのは、自分の感情やその事に対する評価・価値観であって、起こっていること自体に意味は無いとさえ言えます。

ただ今日言いたいことは、そのこと(物事の陰陽性と中立性、それを感じる人間性)ではありません。

今回お話したいのは、ひとつのテクニックです。

マルセイユタロットには「手品師」というカードがあります。理由は省きますが、このカードの意味として、「仕事」というものが象徴として導かれます。

ということで、端的に「手品師」は「仕事」を意味すると、便宜上今回は決めておきます。

そこで改めて「手品師」のカードをよく見ますと、その名の通り、テーブルに手品道具を出して、まさに手品をしています。

これは彼には手品が仕事かもしれませんが、観客にとっては余興や楽しいサービスと見えます。

実は、ここがポイントです。

仕事をしている自分は「仕事をしている」と思っている(信じている)ため、つらいもの・厳しいものという日本人の刷り込み・洗脳(自己経験からもあります)めいたものに支配されます。もともとそう思っていない人は関係ありませんので、これ以上読まなくてもいいです。

話を続けます。

カードでいえば、自分は手品師であり、「仕事をしている」と思っていますが、観客側にも(カードの象徴としては)回ることもできるのです。

あなたは手品師であると同時に、観客(観客が描かれていないのが秘密です)にもなれるのです。

どういうことかと言いますと、仕事をしながらも、別視点では自分のやっていることは余興であり、遊びであり、人を楽しませるサービスだと思えるということです。

いや、そう思う自分をもう一人持つとよいと言ってもよいでしょう。

そしてここからさらにイメージを広げると、観客はこの手品師の親方に言われて(雇われて)見に来た仕込みの客であると考えることもできます。

つまり、客も仕事人なのです。そうした場合、立場は逆転することになります。

これらの象徴から私たちが現実でできることは、簡単にいえば、「仕事は遊びであり、遊びは仕事だと反転の思いを持つこと」となります。

そんなことできる(思える)わけはない、とあなたはおっしゃるかもしれません。確かに実際的には難しいかもしれません。

しかし、この逆転の思い方に、あなたを思い込みや洗脳から脱却させるヒントが隠されているのです。

全部はあえて書きません。

ただ少し思い方のヒントを言えば、つらい仕事に毎日行くことであっても、それ自体がゲーム(今のあなたはつらいゲーム世界という設定の中の経験をしていること)だと認識してみることです。

ずっとそのゲームを、その状態で続けていくかはあなた次第ですが。

実はゲーム自体を変えることもできますし、ゲームをしながらゲーム内容が変わっていくこともあります。

また遊びを仕事と考えることで、遊びの真剣味が変わります。

これは結論から言えば、あなたが遊びだと思っている状態・質が仕事になり、つまりは仕事が遊びのそれになるということですから、あなたの「遊び」が楽しいもの、面白いものと感じていれば、仕事はそのようになっていきます。(現実的には職が変わったり、仕事の内容が変わっていったりします)

反対に今までやっていた「遊び」がつらくなったり、面白くなくなったりすることもありますが。(笑)

マルセイユタロットを学習した人は、「手品師」が「悪魔」と関連していることを思い出すことで、さらに示唆を得るでしょう。

まずは、あなたの「今の仕事が遊びでもある」と信じてみること(その要素を発見してみること)です。あなた自身であなたを逆洗脳してみてください。(笑)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Top