存在する通訳

マルセイユタロットの絵柄には、一人の人物しか描かれていないものもあれば、複数の人物が出てくるものあります。

その複数の者が描かれているカードということでは、「恋人」や「審判」が挙げられるでしょう。

この二枚は共通した構図になっていますが、それには意味があります。

今日はそのことについて語るのではなく、二枚から読み取れるある示唆をお話します。

テーマとして表現するならば、「通訳」ということになるでしょう。

通訳といえば、一般的には違う言語同士を訳する作業、もしくは人を意味します。

けれども、これをもっと大きな意味でとらえますと、面白いことになってきます。

たとえば日本人とアメリカ人の通訳といえば、日本語と英語を知っている人ということになりますが、同じ言語同士でも通訳を必要するケースもあると見た場合、いかがでしょうか。

もちろん方言同士などということになれば、共通語を介して通訳の必要もあるかもしれませんが、私の述べていることは、そのような方言通訳のことではありません。

実はもっと個別的なことです。それは、あなた自身を通訳してくれる人が、どこかにいるかもしれないということなのです。

言い方を換えれば、あなたのことを、ほかの人より理解しやすい人がいると述べてもいいでしょう。

意外というか、よく考えれば当たり前のことですが、人は誰でも同じように受け取るわけではありません。

まさに百人いれば百通りの解釈・受け取り方があると言ってもよいくらいです。

とすれば、あなたのことを、あなた自身に近いくらいのレベルで理解してくれる人もいれば、かなり遠い感覚で受け取る人もいるということです。

普段からあなたに多く接している家族や友人は、その意味ではあなたの通訳と言ってもいいでしょう。

けれども、あまり会っていないのに、あるいは極端なケースでは、初見なのに自分のことをよく理解してくれる人がいる場合もあります。

それがあなたの通訳の人なのです。

また今はあまり自分のことを理解してくれない人に囲まれていたとしても、時期や場所を変えれば、あなたのことを今よりもわかってくれる人がいる可能性は高いと言えます。

あなたはまだ本当の通訳に出会っていないだけかもしれないのです。

この「自分の通訳」になる人は、同地域や同じ国の人とは限りません。言語や文化が違うのに、なぜかあなたをよく理解してれる人が、地球上では存在することもあります。

それも一人だけとは限らず。集団や組織、グループ、会社というようなこともあります。

また、もっと広い視点で見た場合、人間以外の動物や植物、モノ、目に見えない存在ということもありえるのです。

それから、ここで言う「通訳」とは、人と人(あるいはその他の存在)とのコミュニケーションを円滑にする存在という意味だけではありません。

つきつめれば、それは自分と自分とのコミュニケーションをやりやすくする存在も、「通訳」と言えるのです。

たとえば、さきほど私は人間ではないものも、自分を理解してくれる通訳になりうると述べました。

その対象が公園の木だとしましょう。

あなたは公園の木と会話しているような気持ちになっているかもしれませんが、見方を変えれば、自分を木に投影して、別の自分と(人格を創り出して)コミュニケーションしているとも言えます。

ということは、その木はあなた自身でもあるのです。

「おまえはよく私の気持ちをわかってくれる」と木に語っていても、それはもう一人の自分でもあるのです。

いわば、自分を違ったように見せることで、奥底にある、表に出しにくい自分を表現させていると考えることができます。

これはまさに自分とのコミュニケーションであり、自分で自分を通訳し、理解(表現・浄化)しているようなものなのです。

世の中にあなたの「通訳」は、人であれ、モノであれ、数多く存在します。

つまるところ、それは全部自分自身の創造物だとも言えるからです。

ところで、もちろんマルセイユタロットは優れた通訳装置(自分自身、他者)にもなります。

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