創造すること。
創造・維持・破壊、この3つの力・状態は、宇宙や神の表現そのものと古代の神話・伝承ではたとえられています。
たとえば、インド(ヒンドゥー教)では、その三つを「ブラフマー」「ヴィシュヌ」「シヴァ」として神格化しています。
このブログでもずっと書いてきていますように、私たち人間も神性を内在する存在であり、いわば神の似姿(小宇宙)として、同じものが反映されます。(同じことが次元を違えてできる)
ということは、創造・維持・破壊は私たち自身(の表現)でもあり、現実と精神に息づいていることになります。
つまりは自然の摂理のようなものです。
創造・維持・破壊はこのように、必然的に訪れ、サイクルとして巡っていくものでもありますが、場面・場面においても表現されることになります。
中でも、「創造」というものは一番大切かもしれません。(基本、3つにランクの違いはなく、表れ方の違い、エネルギーの質の相違でしかありませんが)
というのも、「創造」という発意と言いますか、意志というものが、もともとの根源なる存在・宇宙・神のきっかけ・目的だったのではないかと考えられるからです。
創造したい、拡大したい、またはその創ったものを見たい、感じたい・・・人間的に言えば、このようなことになるでしょうか。ビッグバンが起こったのも、そうした理由のようにも思えます。
従って、人においても「創造」していること、創造ができている状態というのは喜びに当たるわけです。
ところが、得てして、特に現代人は創造しているようで、情報の受け手や誘導されるような受け身になることが多く、自分から何かを創造している、作り上げている、クリエイトしている、デザインしているというような思いにはなりにくいところかあります。
しかし、振り返ってみればわかるように、自分の「創造」を表現できる道具・ツールは、今ほどそろっている時代はないと言えます。その最たるものはパソコン・携帯・インターネットなどの情報機器とその仕組みです。
だから、最初の頃はネットでも誰かの制作したHPを見ているだけの人が多かったのに対し、今はソフト面の発達とシステムの柔軟化によって、自分から多くの人が作り・発信するようになっています。
ただ何もネット社会の表現だけが創造ではありません。
創造とは「作り出すこと」「生み出すこと」ですから、そう考えれば、いくらでも創造のやり方・方法はあります。
陶芸や美術を趣味としてやってもよいでしょうし、植物や動物を育てるのも創造表現です。もちろん子供を産み・育てるという、まさに大きな創造もあるでしょう。
事業やプロジェクトを開発し、運営するのもそうですし、単純にアイデアを思いつくのもそうです。お金を創造する、つまり稼ぐことも創造の一環です。
また「有意義な時間を生み出す(充実した時間にする)」というとらえ方もあります。誰かと一緒に過ごす、友人を作るというのも創造です。
さらに人を援助する、教育するというのも、その人のよいと思える時間・人生を生み出すことにつながりますので、やはり創造なのです。
あと、創造で大切なのは、その創造が誰かの役に立っているかどうかという点があります。
これが実感できないと、人は創造を空しいと感じます。しかし多くの創造は、一見誰かの役に立っているとは思えない些細で個人的なものです。
ところが、スピリチュアリティを探究し、推進していくと、結局自分と人とはつながっていることに気がついていきますから、自分のつまらないと思っている創造でも、人や世界、ひいては宇宙に役立っていることを感じ、自分の人生が充実してくるように感じます。
スピリチュアルな観点を抜きにしても、自分の創造によってコミュニケーションが起こるようにすれば、自分を尊重することができるようになります。
たとえば、自分の作った作品(活動)を見てもらう、評価してもらうというような働きかけです。この時、お金を必ずしも介在させなくてもよいですが、お金によるエネルギー交換が、そのものの価値を実感することに今の人や社会はなっていますので、あえてお金を間に入れることも有効です。
これが難しい場合は、もっと簡単に、すでにコミュニケーションのできるている場所に自分が参加して、自分の創作を人から見てもらうということをすればよいです。平たく言えば、趣味やボランティアのサークルとかに参加してみて、自分も何かひとつでもいいので「創造」してみるということです。
タロットならば、グループでリーディングしあうことで、自分の意見(リーディング)を人に聞いてもらえる経験ができますので、いわば自分の創造が評価されたり、それによってコミュニケートされたりする状況となりますから、「自己の創造が実感できる」ということにつながるのです。
そう、つまり「創造」には、それを受け止め、反映・評価・観察する側も必要だということです。ここに、「神の創造によって人間が生み出された」という神話・伝説の意味が見い出されるのです。
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