安定と不安定 停止と動き
バランスが大切ということはよく言われます。
マルセイユタロットでも、「バランス」をもっとも象徴していると考えられる「正義」のカードが、大アルカナの位置的に、バランスを示唆するところに置かれていることからも、それは伺えます。(厳密には中間ではなく、「中間の重要さ」を教示する位置という意味で)
しかし、一方では均衡ばかりを意識すると、「動き」や「情熱」のようなものが見えなくなります。
いわば悪い意味でのバランスで、それは膠着状態でもあり、一面では物事が停止・停滞しているかのような状況と言えます。
これは一見、安定しているのですが、実は緊張関係によってバランスが取られていることもあり、真の意味で安定しているとは言い難いところがあります。
たとえばライバルがいればこその均衡状態だったものが、ライバルがいなくなったり、力を失ったりすれば(それが自分に起こる場合もあります)、たちまちのうちにバランスが崩れ、安定は「かりそめ」だったことに気がつきます。
こうして、均衡が図れていても、いつかは必ずその均衡状態は破られ、そこから「動き」が生じます。
シーソーを想像していただければわかるように、均衡であればそれは平行で動きませんが、どちらかに偏れば、ギッタンバッタンと動き始めます。
ただ、シーソーを含む公園全体で見れば、動いていない遊具もあって、やはりバランスが取れていることもあるのが全体目線でのバランスです。
また本当はシーソーはアンバランスで動いているようで、よく見ると動きはリズミカルで、動きながらも実はバランスが取れていた・・ということもあります。
それはともかくとして、安定や中間としてのバランスを取り過ぎると、動きがなくなって、成長が止まることもあるということです。
ですから、「動き出す」というタイミングでの不安定さも、悪いものではないと受け入れると意識はまた拡大します。
面白いことに、マルセイユタロットでは、数の順序で行くと「正義」の次に「隠者」が来て、その次は「運命の輪」となります。そしてこの「運命の輪」は、ひとつには時間やタイミングを象徴しているのです。
「隠者」も静かなようでいて、内面では変化を示唆しますから、この三つのカードの並びは、安定から不安定の切り替わるタイミングの重要さを表しているとも言えます。
「不安定」は、むしろ自分をステップアップさせるための好機と言えます。
さきほどのシーソーの例で、もう一度表現します。
自分がこちら側で、相手のB君が向こうに座っている時、ちょうどほぼ同じ体重で釣り合いが取れていたので動きはなかった。
B君が前に動いたので自分側に傾いてきた、それで自分も前に行ったらまたシーソーは止まった。
今度はB君だけではなく、Cさんも向こうに座ったたため、向こうにシーソーは動いて傾いた。
自分ではいろいろとシーソー上で動いてみたけれど、こちらに傾きを戻すのは無理だった。
そこで、向こうと同じように自分のほうにも、人を乗せることにした。
となれば、シーソーから目を離して、シーソーのある公園を見渡して、乗ってくれる人がいないかを探す必要が生じた。
幸い、近くにD君がいたので、D君に声をかけてこちらのシーソーに乗ってもらった。
D君は鬼ごっこしている最中だったが、飽きていたところだったので、シーソーゲームの好奇心に駆られ、喜んでシーソーに移った。
ところがD君は体重が重かったので、一気に今度はこちら側にシーソーが傾いてしまった。
しかし、D君は脚力があり、足で蹴って、シーソーを戻そうとした。
すると、シーソーは一度向こうに傾いたものの、ものすごいスピードで逆にこちら側に戻ってきた。
自分とD君は、そのことでおしりが痛くなり、顔をゆがめた。見かねたCさんが幼い妹を大声呼んで、自分のほうに乗せると、シーソーは見事に均衡を保った。
公園全体では、鬼ごっこをしていたD君が移動したので、その遊びをしていたグループは別のことを始めた。
同じく、Cさんの妹とままごとをしていた他の女の子は一人になってしまったのでつまらなくなり、家に帰ってしまった。
そうやって、公園内の子供達の移動や変化は生じたものの、シーソー含めて、全体としては公園で遊ぶ子供たちは楽しく過ごしている。
こんな感じでしょうか。バランスとアンバランス、停止と動き、変化と拡大などをこのたとえから汲み取っていただけけれぱと思います。
ポイントは自分が最初にシーソーを乗っていた時から、シーソーを戻そうと(バランス回復を図ろうと)、いろいろと考えたり、経験したりしている点で、全体目線が特に重要です。
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