「悪魔」と満足感、そして満足観へ。
マルセイユタロットでの「悪魔」のカードは、他のタロットの悪魔とは少し違うかもしれません。
というのも、おそらく見た目はそれほど怖さや嫌悪を感じさせないような絵柄だからです。むしろかわいいという人さえいます。(笑)
マルセイユタロット全般が、西洋の中世的なスタイルの木版画のようになっていますので、初見では絵そのものにリアリティを感じることは少ないでしょう。
けれども、ずっと使い続けてくると、実はかなりの現実感を伴って見えてくるのですから、不思議というか、巧みな技だと感じます。
間接的でいて直接的、これがマルセイユタロットの表現の特徴と言っていいでしょう。
話を戻しますが、「悪魔」のカードです。
マルセイユタロットのこの「悪魔」の意味は、見た目が上述したように、一般的にイメージされる「悪魔」らしさがないので、かえって難しいところがあります。
とはいえ、そこは悪魔なので、やはりネガティブな意味を見いだすことも可能です。(私の考え方ではタロットは見方によって、ポジにもネガにも両方の意味を象徴させることができ、もとは中立です)
ということで、「悪魔」という名前の印象から、リーディングとなると、どうしても「悪い」意味で見てしまうことになったり、ホジティブに読みにくかったりします。
しかし、それだけ複雑で面白いカードと言えるのです。
この「悪魔」がわかってくるようになれば、それだけタロットの象徴による物事の自分の理解と考察が奥深く進んできたと言っても過言ではなく、ほかにも「月」のカードなども同様のことが言えます。
さて、その「悪魔」のカードを理解するひとつのキーワードに、「満足」ということを挙げておきましょう。
もちろんそのまま「自分の満足感」ととらえてもいいのですが、さらにの「満足」というものを分析していくと、それは自分の欲求が満たされた時ということが指摘できるでしょう。
欲求は誰が生み出しているのかと言えば、当然自分ではあるのですが、実は他人・外の事柄(外の刺激)からの影響であることもあります。
それはさておき、内からであれ外からであれ、ひとまず自分の欲求として処理され、その意味では自らが生み出したものである言えます。
そして人は自分の欲求を満たすことが、全部は無理でも、部分的に、あるいは一時的であれば可能です。
そうでないと生きて行けないでしょう。食欲・睡眠欲など基本的欲求は、とりあえずはほとんどの場合、どこかで満たすことはできます。
重要なのはそのことです。人間は自ら生み出した(たとえ他人からの影響であっても、人間の欲求であることには変わりありません)欲求をかなえることができる存在なのです。
いわば、自己完結能力と言ってもいいでしょうか。
欲求が人から創造されたものであるならば、その創造を味わい、活かすことができるのも人間だということです。
このサイクルの偉大さ、自らの創造と実践能力のすばらしさに気がつくことが、本当の意味での「満足」につながります。
また、自分の欲求(創造・アイデア)レベルが今の自分の実行レベル(実際にかなえる、味わう、体験する)とイコールではない時(それは結構多いでしょうが)、他人が代わって実行してくれていることもあります。
それをうらやましいと思うより、「人」そのもののすばらしさを感じたほうが自分のレベルを逆に押し上げることになります。
また、創造と実行の間には、この現実世界では時間的制約やズレがあるのが常ですから、自分の欲求が今はかなえられなくても、時が経てばOKになることもあります。いわゆるタイミングのズレの違いなだけのこともあるのです。
このようにして、自分の欲求をそのレベルの範囲においてかなえていくことが自己創造の完結となり、真の満足感を得ることにつながるのです。
すると、自分の偉大さを「内的な自分」が実感し、下手な欲求を逆に抱くことが少なくなり、穏やかでいながら次の成長に自らを進めることができます。
人によってはさらに大きな欲求が出て、またそれをかなえるための経験が起きることもありますが、それも自分の偉大さを悟らせるための作用のひとつだと考えられます。
重要なのは「満足を得る実感」で、中途半端な満足感はかえって飢餓感につながるおそれがあります。同時に「足るを知る」ということも大事で、これは実は満足の実感の方法なのです。
自分の今のレベルを超えた欲求の実行は乖離が激しく、結局かなえにくいですし、よしんば、かなえたとしても損害も大きく、満足したとは言い難くなるのが普通です。
ですから身の丈の範囲で、しかし妥協せず欲求になるべく忠実にかなえていくことで、満足感が得られることになります。
満足感だけではなく、大事なのはさらに一歩進んだ「満足観」で、これは満足を実感し、それ(味わっている自分、満足している自分)を観る(観察する)ことで欲求にふりまさわれずに済む心境です。
欲求を創造し、実行してかなえる、これは自分の中の「悪魔」の働きであり、この悪魔性を懐柔することに神性の向上のヒントがあるとマルセイユタロットを観ると考察できるのです。
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