学びに必要な視点、二つ。

いろいろな学びをしていると、やがて「これこそが真実だ!」と思えるような法則・ルール・メソッドに出会うことがあります。

それは確かにその時点では自分にとっては真実でしょう。しかし、反面また、それは真実ではないおそれもあります。

おそらく表面上(見えていること、体験していること)では何も真実などなく、しかしそのこと自体が真実であり、だから真実はあるのだという、わけがわからないものとたとえることもできるかもしれません。(笑)

それはともかく、今の社会、これだけ情報が多いと、自分は何を選択してよいのかわからなくなるのも当然です。

ここで特にに学び・学習において区別しておきたいことを指摘しておきます。

ひとつは、手段と目的を取り違えないということです。

たとえばタロットを学ぶとした場合、あなたはタロットを読む技術を学びたいと思っているかもしれませんが、それは本当に目的でしょうか?

いわば、これはリーディング「技術」です。タロットを読むことができても、おそらく満足はできないでしょう。それは目的が違うからです。

あなたにとってタロットを学ぶということは、自分を現状から変えたいということなのかもしれませんし、宇宙の真理に近づきたいということかもしれません。また他人をタロットを使って癒したい、サポートとしたいという場合もあるでしょう。

これが目的であり、手段ではありません。「タロットリーディングができるようになりたい」というのは、それ自体が目的の人はあまりおらず、たいていはその奥に本当の思い・目的が存在しているはずです。

ここを区別しておかないと、技術をマスターすることばかりに注力し、たとえば資格を得ようと(その資格が目的のための必要条件であれば別ですが)お金と時間ばかりかけて、いつまでも実践できずにいるという、まさに本末転倒のことになってしまいます。

それから二つめは、個別性と普遍性を意識するということです。

巷にあふれるメソッドや法則、書籍・セミナーで語られているものは、ほとんどその講師・著者個人での成功体験から出ています。

人は人間としては共通であり、その意味では共有性や全体性、普遍性がありますが、一方で一人一人個性を持ち、誰一人としてまったく同じ人間はいません

もっと言えば、生まれる前からも違っているのです。

ですから、全員に当てはまることなど現実レベル(五感で実感できるもの)ではほとんどないのが実状です。これをよくふまえることが大切です。

現実レベルで共通しているように見えるのは、強制的に決められたルール・法律があるからです。もしくは意識を抽象(大きな括り)レベルまで上げていった時に現れます。

冷静に考えれば、その人の言うことは、その人がそれまで生きてきた経験・体験・環境・意志などがすべてその主張が導かれるため整っていた(ストーリーを作ることが出来た)からこそ生み出されたもの、気がついたものだということができるのです。

ということで、何でもその人の言うまま、その人とまったく同じ事をすればその人の言う通りになるとは思わないことです。

例えば「夫婦関係、人間関係こうすればうまくいく」という提案でも、言っている人のパートナーがAさんだとすれば、もしパートナーがあなたやBさんであれば、そううまく言ったか、法則にあてはまったかどうかはわからないこともあるわけです。

相手や環境が良かったからうまく行ったというより、むしろ悪かったから気がついた、成功に至るものを思いついたということもあります。いずれにしても環境条件は個別的であり、大きな要因です。

ビジネスでも同様です。たまたまその人のやり方がその時代、環境、人的にうまく行ったに過ぎないかもしれません。

では、人の言うことなど当てにならないのかと言えば、それは一面ではその通りですし、そうではないとも言えます。

重要なのは主体性を持つことなのです。

人の言いなり、誰かや本がいいことを教えてくれる、救ってくれるという意識だけではダメで、それを使い、実践し、自らを変えていく主体的な意志が求められます。

主体的に取り組めば、人の言うことは自分のものとして響き、活用することができます

逆説的ですが、人の言うことは、全部個人それぞれに当てはまり、活用することが可能です。

最初と矛盾していることを言っているように聞こえるでしょうが、「人」として普遍的な括りで見た場合、構造的には人間は同じにできており、スピリチュアル的にはひとつの宇宙です。

従って、真の意味では何でも自分の中にあり、人は自分でもあるので、誰かが発見したり、言ったりしていることは自分の深奥部分では自分が言っているに等しくなります。

ただ表面上の表現(現実世界の自分が見ている現れ)としては、他人いう存在の発表・知識・教えなどとして見えるよう設定されています。

そのため、この現実世界では個という「個別」を意識することそれを活かすことがもともと宇宙的意志として存在するのではないかと想像することができます。

つまり、「わがまま」を実践することが理にかなった世界なのです。ここでいうわがままとは、我(個)のままという意味で、自分勝手な利己のことを言うのではありません。

周囲の人は、あなたにいろいろな情報を見せ、与えてくれます。その中で自分の個性に合い、個性発揮のために有用なメソッド・法則・教えが必ずあります。

ない場合は、自分が発見することになるでしょう。

要するに、あなたはあなた自身の方法を見つけたり、融合したり、取捨選択したりすればよいということなのです。

ただ最初から自分の個性・「わがのまま」なのかはわかりにくいのが普通です。

従って、いろいろな学びをしたり情報を入れたりして、その中からこの世界で自分が表現しやすい個性的方法を見つけ、身につければいいのです。(本当は「思い出す」ということに等しい)

マルセイユタロットでいえば、「悪魔」から「神の家」という象徴で見ることができるでしょう。

人が言うものの中で、普遍的なものももちろんあります。ただ全体や普遍性ばかりを見ずに、個性・自分としてはどう扱い、表すことができるかという視点をもって学ぶと、本当の意味で効率的になります。

それはマルセイユタロットでは「節制」の道とも言え、「節制」は自他ともに「救済」を象徴するカードでもあります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Top