タロットを依存的占いで使い続ける危険性
私がタロットを教えていて、占いの形をメインにしないのは、いろいろな理由があるのですが、その最大のものは、自分の人生を運任せ・人(他人)任せにしないためにあります。
もっとも、占いを全否定しているのではなく、その良さを知り、研究や実践もしつつの上で述べています。
占いには占いのよい面があり、人生をよりよく生きる上ではバランスよく採り入れれば、すばらしいものになります。
要は何事もそうですが、ツールや知識自体は中立で、それを使う人の心がけや目的によるものなのです。
しかしながら、世間ではタロットを使うとなると、やはり状況を見る、運勢を見る、吉凶を見るということがタロットの使い方として主要になっている現状があります。
先述したように、それ自体が悪いわけではありません。タロットカードを物事の象徴に見立て、いいもの(カード)・悪いもの(カード)という区別をした上で、タロットを引いてみることで、問いたい内容についてのこれからを予測してみたいと思うのは、人情というものです。
そしてタロットはよく当たります。この仕組みについては、講座では時々解説することがありますが、ある条件を満たしていくと、結構当たるようになってきます。特にいい・悪いでカードを分けて判断する場合は、なかなかにインパクトのある出方をすることが多いでしょう。
ところが、これを続けているとどんどん落とし穴にはまります。
その「穴」というのが、第一に「依存」です。カードや占い師の言うことが当たるため(本当はここは検証の余地があり、そう思い込んでいることは結構あります)、何かの決断をする時に自分で決められず、占い任せにしてしまうようになります。
別に占いを参考情報としてもよく、むしろそれは推奨したい(一意見として)ところなのですが、最終的には物事の決断は自分でしたほうが望ましいです。それは自分の責任も伴うからです。
自らの人生について、自らで責任を取るという姿勢を見せて行動しない限り、本当の意味では状況は動きません。
ここまではよく聞いたことがあると思います。
実は、自分の決意と責任の放棄、依存の問題だけではありません。
第二に、自分の真の力を失うということが重大なのです。
「自分の人生は自分が創っている」という自覚とパワー(力)を自分の中に目覚めさせるためのステップが、占いに頼りすぎると、下手すると永遠に訪れなくなるのです。これが本当の意味で問題なのです。
私たちは生まれながらにして奴隷というか、ある睡眠状態に置かれていると言われています。このあたりは、映画の「マトリックス」などを見るとわかりやすいかもしれません。
そのまま普通に生きるのもそれなりに意味があるのですが、多くは人に操られ、お金に操られ、星に操られ、宇宙に操られ・・・の何重もの牢獄に見方を変えればつながれている状態とも言えます。
自分に力を取り戻さないと、テレビなどのメディアで簡単に洗脳され、自分の意志で動いているようで、実はまったく他人から操作されているような「操り人形」の一生になってしまいます。
質が悪いのは、操り人形生活自体にも見せかけに近い「幸せ」を見せられるということで、操られていることそのものに快感と充実感を味わう仕掛けもあります。
ここは大変難しいのですが、人生、それそのものには宝物が含まれていて、皆さんそれを経験や体験の思い出として、あるいは瞬間の感情として記憶に留めます。どんな時にでも、「ああ、素晴らしきかな、わが人生!」と感動したり、祝福したりする局面は訪れます。
だからそれぞれの人生には意味があり、すばらしい世界であることは間違いないのですが、反面それは幻想でもあるということです。
この「幻想」を自覚しながら体験を味わうのと、無自覚のまま味わされるのとでは、同じようでいて、決定的に何かが異なるということです。(コントロールする側とされる側の体験と充実度の違い)
このシステムは非常に奥が深く、普通の人は気付くこともできないほどです。私もいまだ縛られているものがたくさんあることを実感しています。
マルセイユタロットでは「悪魔」と「神の家」によって、このことを象徴しています。
人間には神性があり、創造の力があります。それをすぐに自覚できなくても、少しずつ自らのパワーを蘇らせることができ、それは日頃から依存的な言葉であったり、そういう態度だったりするものを改善していくことに鍵があります。
状況判断を求める占いは、「どうなるでしょうか?」というものを見ることがほとんどであり、その質問をして占っている限り、まさに運任せ、良くて人任せという状況がさらに固定され続けることになります。
つまり、自分でもともとつけている束縛の綱を、さらに強くしていることになるのです。
運や人の影響がないと言っているのではありません。それ(運気など)はあると言えばあります。ただそういうものに自分をすべてゆだねてしまって、操られるようになってはまずいということなのです。
私の考える本当の「占い」は、その、人を縛っている綱のからくりを見るための象徴知識と実践だと考えています。
ですから占いによって運をよくするのは、入り口であり、一時的なものなのです。
その段階は、人によっては飛ばしてもよいくらいですが、「自分は運を使いこなせている」と錯覚して、現実を充実させていくのも、ある意味ひとつの段階ですので、そのアプローチを取るのも場合によってはアリだと思います。
あなたが大人なら、あるいはもっと成長を望むのなら、「いいカードが出たからラッキー!」「悪いカードが出たから怖ろしい・・・」などと単純に喜び悲しむ次元からは卒業しましょうと指摘しておきます。
もっともその使い方で人生を楽しむ方法もありますので、否定はしませんが。
確かに!納得の行く説明でした。これは、特定の宗教、宗派の中でも言える事ですね。今日の早朝、タロットのアプリをダウンロードしました。理由は、機械のくせに的確な答えを数度も出していた事が以前にありました。それと、オカルト的な印象を持ったりする方も多くおられるようですが、素人の目から見て、確かに何らかのカードでは無い「意識」のようなものからの発信、読み取りを感じています。これが何なのか知りたくもありました。心の声は皆が実は聞いているはずですが、それとも違う印象です。ここがきっと、分かると的確な答えを導き出せる所なのでしょうか?
タロットに関しては何の知識もありませんが、この的確さは尋常ではありません。
きっと、読み取る側のインスピレーションも大きく左右するのではないのでしょうか?
しかし、いちど、相手の気持ちをアプリで出した時は、こちらの印象とあまりにも一致していた為に驚きました。
カード自体の占いだけではありえません。
mayuravajiraさん
コメントありがとうございます。(アドレスドメイン部分は公開するとそちらに問題が生じるかもしれませんので、表示しておりません)
確かにタロットアプリでも的確な答えが出ることはありますね。機械的ではあっても、そこに何かの意志や力が働いていると見たり、すべてが関係する象徴の世界であると考えてみたりなど、いろいろ見方はあると思います。いずれにしても、情報のひとつとして見て、すごさを感じると同時に、客観的でどこか切り離して見る姿勢もあるとよいですね。矛盾するようなことですが、すべてはつながっている、意味があるという見方と、それとこれとは別、しょせんは機械の出したランダムでオートマチックなものという冷めた見方との、両方とも持つのが私はよいように思います。