カードを引く状況に意味を見る。

これはややイレギュラーなやり方なのですが、タロットカードの絵柄だけを象徴とせず、タロットを引いたり、展開したり、タロットにことについて思ったり、行動したりした時の一連の状況を「象徴」だと見ることがあります。

通常はタロットを展開して、その出たカードと問いを照らし合わせてリーディングしたり、メッセージを受け取ったりするわけです。

もちろんこれが王道の使い方です。

しかし、世の中すべてのものを自分の象徴とする考え方もあり、これに従うと、カードの絵柄だけではないことも象徴になります。

たとえば、タロットを展開しようとすると、あるカードが紛失していたり、欠けていたりすることに気がつくことがあります。

また、あるカードだけが裏向きなのに折れ曲がっていたり、汚れやポイントがついていたりして、引く前から何のカードかわかることがあります。(単純に古くなっていたり、クリーニングしていなったりの時は別ですよ)

さらに、注意深くタロットを引くと、あるカードを持つ時とほかのカードとでは、重さの違いのような、何か重力や違和感、不思議な感覚を味わうことがあります。

またテーブルからカードが落ちたり、カードを引こうとすると電話がかかってきたり、メールが来たり・・と様々なことがあります。

そうした状況自体にも意味があり、カードの意味とともに意味づけが補強されたり、加速されたりすることがあるのです。

つまりカード自体の意味とともに、シチュエーションにも象徴として何らかの意味を見いだすことも可能だということです。

カードとシチュエーションを掛け合わせて、さらに意味がはっきりすることもあります。

タロットを展開したり、引こうとしたりする時には、ある種の意識変換が起こっています。特に儀式を伴って真剣にやっている場合はなおさらです。

そういう時に、何かが起こるということは、まさに「何かがある」のです。

日常生活において注目したいのは、同じ事(が続くこと)イレギュラーなこと、通常とは変わったことが起こることです。

カード読む場合のテクニックのひとつでもあるくらい、同質と異質に注目することは大切です。

ということは、カードに対面しようという時に、何か変化があるということは、かなりシンボリックな内容があるということです。

※ただし、あらかじめ、引いたカード(の展開)の中に意味を見いだすと強くと設定していれば、途中発生したことは、ほぼ無意味となります。

先日、私は講座で使用していた大アルカナを収納しようとした時、ホワイトボードから一枚落としてしまいました。

自作のマグネット式(^_^;)なので、はずす時に落ちることはよくあるのですが、今回はそのカードだけ落下し、しかも会場に備え付けのエアコン装置の下(かなり薄い隙間)に入り込んでしまいました。

普通は入らないような本当にわずかのスペースに、なぜだか入ってしまいました。頑張って出そうとしましたが、なかなか出ませんし、そもそもそこに入ったかどうかさえ疑うほど、カードの存在も見えず、まるで消えてしまったかのようです。

それでも、生徒さんの協力などあり、やっとのことでそのカードを取り出すことができました。そのカードは「審判」でした。

「審判」はマルセイユタロットの場合、完全性を得た人物が復活誕生し、それを祝福している天使の絵柄となっています。

ここから、私はこの一連のことに象徴性を見て、おそらく一度何かを見失い、袋小路に入って困難を極めるものの、人の助けもあって、新しく再生されることがあると見ました。あきらめないことも大切でしょう。

それが具体的に何なのかも、タロット講座中(後)であったというシチュエーションがヒントになりそうです。「審判」と「世界」には二重の意味があることが多く(別の意味の二重ではなく、同じようなことの多元的二重)、ほかのこと(次元)では、すでに起こっていることだとも解釈できます。

また、その講座の中で、ある生徒さんが、自分のタロットカードに一枚、裏の模様に変わったワンポイントが入っているため、何のカードか引く前にわかってしまうという相談をされましたが、これなどもその人にとってのそのカードと出来事が象徴なのだととらえることができます。

客観的事実はおそらく製造過程での単なる印刷ミスだと思いますが、それを象徴として解釈すればまた面白いことになるのです。

ということで、私の「審判」の出来事とメッセージが、どのような形で現実とリンクするのか興味深く、楽しみでもあります。

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