タロットカードが物事の理解を進ませる。

マルセイユタロットでは、物事の本質やあることへの方法なとが読み取れます。

学び・学習においても言えることで、たとえば、「斎王」や「法皇」「隠者」などのカードの象徴性を考察することで、基本的で効率的な学習方法と態度がわかります。

もうひとつ言い方を変えれば、自分が身につけたり、知ったりしたこと(情報取得したこと)を、カードが象徴として整理し、自覚しやすくさせてくれると述べてもよいでしょう。

たいていは、人は記憶したことでもうまく場面場面で思い出すことができず、せっかく本を読んだり、セミナーを受けたりして知識を得ても、それを効果的に活用することは難しいものです。

ところが、タロットのよいところは、絵柄の象徴ということで、視覚的にもインパクトがあり、何かを記憶したり思い出したりするのには都合よく働きます。

タロットを扱うようになればわかりますが、それも意図的に思い出そうとせずとも、自然に、まさに「気づき」のように、「ああ、これはこういうことだよね」「ここではあのやり方が使えるわけだ」というようになるのです。

まるで自分の記憶庫やデータベースから、何者か高次の存在が、整理して取り出してくれるような感覚です。

しかも、そのまま取り出すのではなく、本質を悟らせてくれるかのような変換も行われるところが、またタロットのよい点です。

さて、ではさきほど、学習の事例で挙げたカードをもとに、「学び」の効率性についての一部をお話しておきます。

斎王」というカードは本を手にして静かにたたずんでいる女性の絵柄になっており、一般的には「女教皇」とも呼ばれるカードです。

そしてこの女性の態度を観察すれば、まさに自分の中に学びを受け入れること、すなわちインプットしている様子がうかがえます。

一方、「斎王」と対称的(対照的でもあります)なカードである「法皇」は、集まっている弟子か聴衆に向かって話をしているように描かれています。

ということは、外に向けて話をする、すなわちアウトプットしている(学んだものを人に話すことをしている)と取れます。

インプットとアウトプット、学びにおいてはこのふたつは重要な過程でもあり、記憶を定着し理解させるのには両方必要だと言われます。

さらに、インプットにおいて、斎王の細かな象徴を見ると、「繰り返し」をするということが見えてきます。

意外に知られていませんが、この「繰り返し」をして学ぶ、繰り返しインプットするということは、極めて理解において重要な行為です。

同じ本でも二度以上反復して読むと、最初読んだ時とは違う気づきや理解が必ず得られます。人の話でも、一回聞くより二度聞いたほうが確実に理解の深さが違ってきます。

ただし、より効果的にするには、繰り返す材料が優れたものであればあるほど効果を発揮するということです。「斎王」でいえば、手にしている本自体もすごいものなのです。(繰り返す価値があるもの)

こういうようなことで、カードを通して自分の中で記憶や学びが再整理され、物事の理解と直観の研磨が進むのです。

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