人物で、見えない世界を象徴する。
<p>タロットを身近に感じたり、カードに描写されているものを実感したりするひとつの方法が、<strong>カードの擬人化</strong>です。</p>
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<p>これは、簡単にに言えば、<strong>カードを人物(人間)のように思い、会話してみる</strong>ということです。</p>
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<p>「えっ、なんと幼稚な」とか、「ばかばかしい」と思う人は、残念ながらタロット(とつきあう)のセンスが、今の段階ではないと言わざるを得ません。</p>
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<p>タロットは象徴なので、その解読には基本的に、ロマンチストな詩人的能力がいります。ただし、そればかりでは現実に活かすことができず、空想の世界で遊ぶだけのものとなります。</p>
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<p>この(ロマンと現実の)<strong>橋渡し</strong>や、<strong>道をつなぐこと</strong>がタロット活用の鍵となります。これはタロットの、あるカード(たち)が持っているのですが、ここではふれないことにしましょう。</p>
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<p>さて、そうした擬人化のテクニックの応用で、タロットに限らず、<strong>目に見えないことを人物として象徴してしまうやり方</strong>があります。</p>
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<p>特に問題事項に有効で、たとえば心理の療法的にも、病理現象を人物化して扱う方法が存在します。</p>
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<p>ということは、はっきりしないけれども、何か問題となっていることを<strong>人物として見立てるとよい</strong>わけです。</p>
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<p>日本人はこれを八百万の神とか、また妖怪・物の怪とか、時にはお坊さんや神社のお札を配る人などによって表現していたことがありました。</p>
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<p>たとえば、こういう面白いものもあります。</p>
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<p>昔話や落語でなどでおなじみの、貧乏神です。(笑)</p>
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<p>貧乏はそれを担当する神様がいると考えたわけですね。便所にも神様のいる国ですから、これもありです。</p>
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<p>貧乏神を今風のスピリチュアル的にとらえると、そういう<strong>波動やエネルギー</strong>、平たく言えば雰囲気ということでもあります。</p>
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<p>いわば、お金のことであっても、貧乏はある種、「病」や普通ではない状態、憑依された状態として認識されるわけですね。もしかるすと裕福すぎる(裕福でも不安がある状態)のも問題かもしれません。</p>
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<p>貧乏神と仲良くなるとますます貧乏になるのかもしれませんが(笑)、「貧乏」を人物化すると、語らうこともできますので、自分についている貧乏神と話し合い、去って行ってもらうこともできるでしょうし、何が貧乏神の好みで、福の神とは違うのかということも見つけることができてくるでしょう。</p>
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<p>ということは、福の神も<strong>人物化</strong>して見ていくとよいわけです。</p>
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<p>両者とも「<strong>神様</strong>」ですので、特に貧乏神といえど、その扱いはぞんざいにはできません。もしかするとこの二人の神様は、<strong>同じ神様</strong>かもしれないからです。</p>
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<p>「そんなはずはない」と思うかもしれませんが、<strong>両極のものはレベルの違う同じものの表現の違い</strong>でしかないという、神秘学上の定説・法則があります。</p>
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<p>ということは、お金回りが悪いと思っている人も、それを変化させていく可能性はあるわけです。</p>
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<p>まあ、ただ貧乏神様がいらっしゃる状態というのは、一方の極にふれている状態ですので、メーターを逆方向に移動させないと、同じ状況が続くことになります。</p>
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<p>メーターを移動させるには、貧乏神様のエネルギーとは異なるものに目を向け、採り入れなくてはなりません。それが意外に「<strong>思考</strong>」にあるということは知らされていません。</p>
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<p>言ってしまえば、貧乏神様はあなたの思考が好きなのです。あなたの考え方とか思い方に、貧乏神様がとっても気にいられているわけですね。(笑)</p>
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<p>実際のお金のあるなしではなくて(それももちろん重要ですが)、その<strong>元になっている思考や表現方法が問題</strong>なわけです。</p>
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<p>というようなことも、擬人化するとわかってきたり、感じたりすることができます。</p>
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