わがままとわが・まま 自覚する人生
マルセイユタロットの「運命の輪」や「月」で象徴されることですが、スピリチュアル世界でよく言われるように、結局「気分」というものが現実的にも大変重要であると思えます。
もっと言えば「波動」とか「周波数」というものです。
この状態いかんによって、人の運や人生も決まってくると言ってもいいかもしれません。その意味で現実的なのです。
ですから、いわゆる葛藤状態であったり、何か抑圧したり、ネガティブな気分になったりするのが問題状況となりやすいと言えます。
とはいえ、人間は感情の生き物ですから、何も感じなくなるというのは、一面、生きるエネルギーを失うにも等しいことです。
ここは非常に重要ですが、感情を殺したり、感じていることを認めなかったりするのではないのです。むしろ感情は味わうことのほうが人としての命題・課題と言えます。
大切なのは、やはり感情を味わいながらも、それに振り回されない自分を作るということでしょう。
または迷ったり、葛藤したりする自分を早くスムースに動かしたり、決断できたりさせることもよく、さらには葛藤状態そのものが悪い状態であるという見方を転換させることで、意識も変わってくると考えられます。
その過程の上では葛藤要因を分析する、癒す、浄化するという作業も必要でしょう。
つまるところ、いかに自分がグッドフィーリング(高い周波数)でいられるかということなのです。
厳密にいえば高い次元・周波数と、気分がいいということとは別である場合もあると考えられますが、たいていは一致していることが多いものです。
ということは、手っ取り早くは、自分の心に嘘がない状態していく(素直になる)ということが求められます。心と行動(状況)が違うことが苦しさ(の感情)を呼ぶからです。
これは、言ってみれば、わがままになるというのに最初は近いこともあるので、誤解を受けることもあります。
わがまま=自分らしさのことは確かに一部はあるとしても、全部ではないということです。わがまま≒自分らしさであり、またわがまま≠自分らしさでもあると言えます。
人は一人で生きているわけでもありませんし、社会にはルールや規範があります。皆が皆、好き勝手やってしまえば、とんでもない社会・世界になってしまいます。
では我慢すればいいのかといえば、やはり社会で生きるためには我慢することも必要なのは当然です。ある意味、この世界は我慢・忍耐の世界であるとも言えます。
それが自分を鍛えることにもなりますし、あながち我慢・忍耐が悪いわけではありません。
問題は我慢・忍耐が自分を鍛える以上に自分を壊すことになっていたり、自分の心情が「我慢させられている」と被害者意識のような、完全受け身になっていたりする時にあります。
言い換えれば(逆に言えば)、自発的・意識的・自覚的・意図的になっていれば、我慢・忍耐はほとんど問題なくなるわけです。(苦しいことが変わるのではなく、受け止め方が変わり、気分の保ち方が変わる)
経験に対して自分が主体になること、これが苦しいこと・つらいことへの意識を変えていくコツだと考えられます。
まずは、環境や世間が自分に対していじめのように、あるいはただふりかかってくる災難のように無目的に来るものではないと自覚することが重要です。
簡単に言えば、学びの機会を提供してくれるもの、自分を鍛えてくれるもの、何かアンバランスな自分の状態を修正したり、気付かせてくれるものであるととらえることです。
ただそれだけだとまだつらいこともありますので、やはり発生する現象・人間関係から生じる「自分の状態」をコントロールしたり、物事を多角的に見る視点を得たりするとさらに楽になります。
人間関係・生き方、心理の技術を学び、実践するのもよいでしょう。単純に肉体・精神の安定を物理的に図る(健康をキープ、環境をよくする)ことも効果ありです。
困った時、落ち込んだ時に話をしたり、相談したりできる相手を持つ(友人・知人・プロ)のもよいですし、交際範囲を広げたり、深めたりすることで助け合いによって自分も救われるという環境づくりを行うことで、よい気分に戻しやすくする方法もあります。(普段の安心感にもつながる)
社会(仕事が中心になりますが)にもまれることで、鋼を鍛えるがごとく、心も鍛えられ、経験値も増して、いかなることにも動じない状態ができれば、それはそれで幸せ(平穏)な気分を持続させやすくなるはずです。これは一般的に、昔から日本人がやってきた方法です。
ただこれができない環境や難しい人もいますので、ひとつのの経験でも、多くの学びに活かす効率的な知的技術をマスターしたり、ワクワクしたりする気持ちを出しやすい自分にしていくやり方もあるわけです。
要は、周囲と軋轢を起こしたり、社会ルールをはずれたりせずに、自分がわがままになることのできる術を身につけるといいのです。
周りとトラブルを起こすと、どうしても自分も気分が悪くなったり、よい気分の時間が短くなったりしますから、そうならないようにするのがベターなのです。(自分勝手をやって、全く周囲や他人のことが、かけらも気にならない人は別です)
ただ、そのために、自分を押し殺すことは本末転倒であり、自分のよい気分が保てたり、自分が出せるようにしたりするために、同時に相手との調整・調和を計るようにすればよいということです。
人が中心ではなく、自分が中心なのです。これは人のせいにしないという意味でもあるのです。
相手や周囲も不快にならず、それどころか喜んでもらえるような、自分のわがままを通すことが一番いいわけです。(笑) まさにこれが本当の、「わが・まま」と言えます。
そんなことができるわけがないと思うかもしれませんが、それが可能になることが、マルセイユタロットでは言われています。
なぜならば、矛盾を統合することがタロつとに描かれているからです。
タロット以外にも、もちろんいろいろな方がおっしゃっている心や現実的技術があり、それらを組み合わせたり、実践したりすることで、少しでもその境地に接近し、実際に生きやすくなるのです。
何よりも、自分を生きる、自分の人生であることを自覚することから、すべては始まります。
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