自由の前の不自由な殻

今は自由ということが尊ばれている時代です。もちろんそれが悪いわけではありません。

自由は誰もがあこがれ、それを目指します。いわば、人類の歴史は自由を求めての葛藤と争い、克服の歴史だったようなものです。

しかし、自由を本当に知るためには不自由な状態を逆に味わっておかねばならないという皮肉なところがあります。

不自由さや束縛されていることが自覚できて初めて、次の自由を目指すことができると言えます。

人間において完全自由というのはまずありえないでしょう。肉体があり、物理法則という縛りがあり、さらには通常、時間による縛りもあるからです。

スピリチュアルな世界観では、いわゆる「り」状態に至れば、物理的ともいえる制約から逃れ、まさしく自由になるのだと言いますが、果たしてそれは精神状態のことを言うのか、はたまた本当に空を飛んだり、肉体を変形させたり、過去や未来に自由に行き来できたりする物理も超越した存在のことを言うのか、これはわかりません。

後者だとかなり荒唐無稽な、漫画やアニメ的なイメージにもなります。(一説にはそういう話もあります)

ただ普通に考えると、悟りとは一種の精神的なことであり、完全な物理法則等の縛りから解放されることなのだとは言い難いように思います。

それでもおそらくは、そのような物理的制約を気にしなくなる、苦や障害とは感じなくなる境地であると推察されます。もっと言えば、それらも楽しくなる、面白くなる世界と言えましょうか。

これならば、悟りや完全とは言わないまでも、私たち一般の者でも、ある程度目指すのことの出来るところだと考えられます。

そこで話は戻りますが、自由になるためには前提として不自由さが必要と言いました。そして不自由さを自覚することが解放(次への自由)のステップだとも指摘しました。

そんなこと当たり前で簡単じゃん、と思うかもしれませんが、案外これが難しいのです。ほとんどの人は自分のつながれている綱、つまり縛りについて気が付いていません。大きなもので言えば、私たちは皆洗脳されてつながれているようなものです。

普通は生きていく中で、ただ何となく違和感があったり、時折息苦しい感じがする程度で、通常はなかなか自分の縛りに気がつかず、ずっと一生そのままということもありえます。

それが顕著に現象として出るのは、やはり何かのトラブルや試練、自分ではよくないと思う状況、うまく行かないと思う事柄が発生した時です。

具体的には病気であったり、仕事の問題であったり、パートナー・家族、人間関係の問題であったりします。お金・経済的な問題のことも多いです。

それは、実は自分の中に「何かの縛り」があることに気がつく(かもしれない)きっかけとなっているのです。気がつけば、小さいといえども「ある覚醒」となります。

マルセイユタロットでいえば、大きな意味では「悪魔」と「神の家」であり、また「13」とも言え、一枚で象徴するならば「恋人」や「運命の輪」、「審判」だとも考えることができます。

ここで縛りというのは思い込みであったり、正しいと信じていたことであったりする自分ルール・信念のことがほとんどです。(その意味では「正義」のカードとも関連します)

しかしそれはたいてい外からもたらされており、例えば親や世間の常識、学校や職場で信じ込まされてきたものと言えます。

とはいえ、それは今までは必要な自分の殻であったわけです。

「殻」と言うと悪いイメージがありますが、「殻」なのですから、自分を守る防護壁でもあるのです。殻がなければ、あなたはむき出しのままで無防備に傷つき、倒れていたことでしょう。

しかしながら、もうその殻がなくてもよい状態にあなたが成長し始めていたり、殻を脱ぎ捨てて新しい殻を身にまとうべき段階に来たりしていた場合、上記のようなこと(試練・事件)が発生するのです。

よく勘違いされるのは、「気づきがありました」「やっと縛りから解放できました」「自分はもう自由です」と、セッションやカウンセリング、セラピーなどでその状態になったとしても、実は新たな殻・柵の中に入り直したに過ぎないことがあるのです。

でも新たな枠ですから、今までの枠よりかは大きく、自由性があります

動物園の檻に入れられている状態から、サファリパークみたいに少し自由性を伴った大きな檻に移行したと言ってもいいでしょう。決して自然の元いた自由な場所に帰ったわけではありませんが。

この動物園の動物たちが「元いた自由な場所」に例えられる所こそが、実はまさにもともとの私たちの本質・状態、故郷なのだと言うことができます。

マルセイユタロットはそこに戻るための、あるいは気付くための学びのプロセスが描写されたカードだと述べることができます。

ただ、それもいきなり一気に戻れるわけではありませんので、少しずつのステップが必要なのです。

一気にやってしまうのは脱走に近くなりますので、監視員の目から逃れるのも大変であり、一時的に成功しても捕まえにくる部隊によって追われる運命になって、気が安まりません。それでも挑戦したい人はやってみるとよいでしょう。これがいわゆる荒行ということになります。

安全に行くためには、ひとつの殻に気付いてはまた次の殻に入り、そしてその殻を破ってさらに大きな次の殻に入るという繰り返しがよいです。

そうこうしているうちに殻の破り方のコツがわかってきて、スピードもアップし、ガンガンガンと小気味よく殻を空手の瓦割りのように(笑)、連続割りしていくこともできてくるでしょう。

やはりそう考えると、人生をゲームだととらえて、楽しみながら殻破りをしていくことがポイントのように思えます。

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