コミュニケーションのバランス

コミュニケーションの構造は、相手の話を聞くことと、自分の話したいことを伝えるという交換にあります。

まさに出し入れ、受容と伝達、インプット・アウトプットということになり、これを象徴的・エネルギー的に表現すれば、陰陽と呼ばれる様式になるわけです。

このように、実はコミュニケーションにも陰陽があるということであり、ということは、コミュニケーション以外の陰陽要素とも結びつけていくことが可能になるのです。

しかし、まったく違う分野のものを結びつけるのには、難しさがあります。いわば、いったん表面的な飾り立てを削ぎ落として、「陰陽」要素というような極めてシンプルなものにまで凝縮しなければならないからです。

その作業やモノサシとして使い勝手がいいのが「象徴(シンボル)」であり、私の伝えているマルセイユタロットもそのひとつなのです。

さて、コミュニケーションも結局は内外、陰陽エネルギーの交換・交流だと考えますと、そのバランスを見れば、どちらか一方に偏り過ぎていると、人は違和感を覚えたり、気持ちが落ち着かなくなったりするのが容易に想像できます。

ただ、ここで注意しなくてはいけないのは、この「バランス」とは、目盛りや分量で計ったような50:50(フィフテイ・フィフティ)のものではないということです。

この観点は意外に重要です。というのも、真の「平等」や「公平」というのは、まったく皆が物理的に同じ条件でなけれはならないということではない(同じ量ではない)からです。

すごくわかりやすい例で言います。

ここにりんごが4つあったとします。そして子供が2人いました。普通は、りんごを二つずつ分ければ平等だと思うでしょう。しかし、ここに詳しい情報が入れば別です。一人の子供はまだ赤ちゃんでりんごをそのまま食べられません。もう一人は健康で元気な男子高校生です。

この場合、りんごを二つずつ分けるのは公平と言えるでしょうか? もちろん非常に長期スパンで考えると、二つずつ分けておく(ストックしておく)というのは公平で平等かもしれませんが、りんごを長期保存できるかはわかりません。

というように、諸々の個別事情というものを考慮に入れると、実は公平や平等というのも変わってくるわけです。真の平等や公平というものは、実は神のみぞ知る基準かもしれません。

公平や平等は長期・短期や、宇宙視点か現実視点かでまた変化もしますし、知性や智慧がより磨かれれば、高度な平等観を会得することができると解釈できます。

ではコミュケーションに戻ります。

コミュニケーションも、もともとその人の持っている性質(パーソナリティ・性別等)や、今置かれている立場・環境によって、陰陽やエネルギー交換の度合いが変化します。

先述したように50:50が必ずしもよいわけではありません。それでも、極端にどちらかに偏っていてはそれを回復・修正しようとする働きが自然に出てきます。

その自然に逆らって、抑圧したり、無視したりすれば、人間関係に支障を来し、自分か相手かを傷つけることにもなりかねません。

そのセンサーとして、やはり大切なのは自分の感覚です。具体的に言えば、違和感や落ち着きのなさ、「言いたい」と思う気持ち、逆に「聞きたい」と思う感情などがあります。

特に起こりがちなのが、もともと受容的な行動や精神を好む傾向の人が、過剰に受け入れすぎて、自分の言いたいことを抑えている場合、もうひとつはその逆で、普段から話やおしゃべりが好きで、よく自分のことを話している人が行き過ぎて、人の話を聞こうとしない態度になってしまっているというものです。

ものすごく単純なことですが、言いたいことを言うか、もっと人の話を聞くだけで、多くの人のコミュニケーションがよくなり、自分も相手も活き活きとしてくるのです。

よく話を自分からする人は、努めて人の話を聞く「間」を空けてあげましょう。「間」与えるということです。

こんなことでも、「与える」ことにつながり、それはほかの陰陽要素、例えばお金の収支などとも関係してくるのです。

反対に、普段よく人の話を聞き過ぎている人は、時には人の話を遮ってでも、自分の話したいことを言ってみてください。

あなたが言いたいことを言っていないので、相手は勝手に「それでいいのだ」と判断して、あなたの気持ちを無視して進めてしまうことになるのです。

それであとから不快な気持ちになったり、自己嫌悪する悪いサイクルを断ち切りましょう。ただ一言、嫌なら嫌だと、賛同するならOKだと、その気持ちを述べればいいだけなのですから。

言いたいことが言えていない、伝えたいことが伝わっていない、聞いてほしいことが聞いてもらっていない、こうした些細でシンプルなことがお互いの誤解やすれ違いを生みだし、人間関係の大きな問題となっていることがあるのです。

日本人特有の以心伝心も大切ですが、昔の人より現代人は西洋化されている分、かつてのような第六感が鈍くなっていることもありますので、それではわからず、問題が生じがちになるのです。

さらにそれと同様に、逆に主張しなくてはわからないとなって、話を一方的にする人も多くなってきましたので、「聞いてほしい」という欲求も昔より増加していると考えられます。

要は、今は、言うべき時と聞くべき時とで、ちょっとメリハリとして意識しなくてはならない時代になってきたと言うことです。

それはともかくとしましても、あと一歩、出すか引くかするだけで、劇的に事態は改善されることがあります。人に気遣うあまり、結局自分も相手にも不快で迷惑をかけていることもあります。

ほんの一時の勇気自制が、場や人に本当の力を与えるのです。まさにこれはマルセイユタロットの「力」のカードの極意でもあります。

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