記憶の再現の不思議さ
皆さんは写真のアルバムを見ることがありますか?
最近はビデオや動画データとして残していることが増えていますので、写真としてのアルバムは少なくなっているのかしもれません。
写真には写真の味・良さがありますし、動画は動画で音や動きがあって面白いですよね。昔には残せなかった形ですし。
現在、写真の3D的な再現装置はありますが、動画を手軽に3D再現するまでには至っていないと思います。
これが簡単に家庭でできるようになってきますと、かなり思い出の記憶装置と再現としてはリアルになってくるでしょう。
今は音とか映像だけの動きかもしれませんが、やがて匂いとか触覚的な感覚など、五感でキャッチされたことも再現されるようになって、ほとんど現実と変わらない状態になることも予想されます。
記憶されたデータは科学的には変わることはない(劣化したり破壊されたりはあるでしょうが)のですが、心理的に変化する場合があります。
SF映画のように、タイムスリップした者が歴史を変えてしまったら、現代のその過去を撮影した時の写真にも変化が出る、というようなものとはもちろん違います。(苦笑)
ところが不思議なもので、現在の自分に大きな変化が生まれれば、過去の自分の写真を改めて見た時、なぜか以前見た時と、雰囲気・ニュアンス的に違っているように感じられることがあるのです。
心理的に言えば、今の心境が過去の(写真を見た時の)心境とは異なるので、それは当然であり、別に不思議でも何でもないと言えます。これは常識的な見方です。
ただ、これを逆転させて見ると面白い発想ができます。
写真を見ている自分は、「自分」として別人になったわけではありません。多少の身長や体重の変化はあったとしても、根本的に人間として変化はない「自分」のはずです。
しかし実際は写真が前とは違うように感じられたというのは、自分ではなく、写真の方が何か変化したのではないかと見ることもできます。
いや、両方(自分も変化し、写真も変化したの)かもしれません。
現在わかっている物理法則により、写真や動画データが別物に勝手に変わることはありえないでしょう。ここがこの世界での不変の法則と言いますか、限定されたルールだと思います。
一方で、変わらないようでいて変わっていく、あるいは変えられないと思っていたものでも、変えられることがあるかもしれないのです。
ひとつの限定されたルールや時空間を設定すると、その世界では不変であり、ルールに縛られ、変えることはなかなかできないでしょう
しかし多数の世界が同時存在していたり、次元として移行するという発想と技術があれば、同じ世界では不変であったものも、簡単に変化をさせることができます。
「変える」と言うより、マクロ的に見れば、実は似たような世界間での移動に過ぎない状態であり、それがミクロ的(元の世界の視点)に見れば、何かが変わっているように感じられるということです。
「写真データが変わることはなく、こちらの心境が変わっているだけ」と思うのが限定された世界です。(ただ心境が変わることも次元移行、多数世界だと言えますが)
これに対して、「写真のほうも変化している」と見るのが、別次元を想定する考え方です。
何を言っているのかわからないかもしれませんが、この頭がおしくなるような思考法を統合できれば、かなり発想の転換と、現実を超える方法が見つかる可能性が高いです。
今述べている事柄は、言わば、「おかしい、変だ、狂っている」という感じですが、それはタロットで表現すれば、「愚者」がイメージできます。「愚者」にならなければ、実はスピリチュアルな道に進めないと言われています。
今回の例では写真を例にしていますが、人々の記憶やイメージとなれば、もっと限定されたもの(物理的ルール)が少なくなりますので、かなり過去や未来を変えることが可能になります。
あなたがまったく思い出せなくなるような人物や、反対にふいに記憶に出てくる人や光景、まだ実際に経験していないけれども夢や瞑想のイメージで出現してくるものなど、実は過去・未来を操作したり、自分が変わってきたことにより、過去や未来からの働きかけと修正も起こってきたりしているのだと考えることもできます。
物理的にも写真やアルバムが紛失したり(逆になくなっていたものが出てきたり)、嫌な時代の人の記憶が自分だけではなく、同窓会などでほかの人の記憶からも薄れていたり、そうしたことが発生することがあるのです。
まあこれも、意識の変化による、自分の注意や集中する方向性の変化ということで片付けることも可能です。
しかし、その理由であっても、こういうことも言えます。
例えばもし過去においていじめで苦しんだ人が、思い出したくもない人物や場所があるのに、それが今も出てきてつらくなってしまうという場合があったとします
その後、この人のその経験と思い出が浄化されたり、癒されたりするようなことがあれば、気持ちはとても楽になりますので、以前のように思い出すことも少なくなり、それ以降の人生が軽やかになるのは想像できると思います。
これを「データの変換」「書き換え」だと言ってしまえば、シンプルなことであり、そう理解したほうがわかりやすいかもしれません。NLP(神経言語プログラミング)に近くなってきますね。
この記事の最初に方で、「次第に記録再現がリアルなものに技術的にはなってくるだろう」というような意味を述べたのは、それによって、リアルなデータ書き換えも可能になりそうだからです。
自己暗示と言えば自己暗示かもしれませんが、リアルな修正追体験ができれば、それだけまさに人をリアルに変化させる可能性があるということであり、心理的には非常に有用な技術として期待できそうです。
ただし、同じくらい洗脳の危険もありますね。記憶をすり替えられたり、変えられたりすることも簡単になってくるかもしれません。何事もプラスマイナスの要素はあります。
ということは、私たちの意識が、マイナス面もわかったうえで、うまく使ってコントロールできるレベルに達することが、技術のよりよい進歩にもつながるということです。
ここに個人個人の意識レベルの向上が、全体の発展にも貢献することが見て取れます。
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